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2022年01月18日

荼枳尼天


仁和寺に志一房とて外法成就の人ありけるに、咜祇尼天(だぎにてん)の法を習ひて、三七(さんひち)日行ひけるに(太平記)、

と、「咜祇尼天」とあるのは、

荼枳尼天(だきにてん)、

の意で、

人の死を六ヶ月前に知ってその心臓を食い、その法を修する者に自在の通力を得させるという夜叉神、

と注する(兵藤裕己校注『太平記』)。

以術召請荼枳尼而訶責之、猶汝常噉(=喰)人、故我今當食汝、

とあり(大日経疏)、

荼枳尼は、通力自在の夜叉神なれば、此の法を修すれば、その人、亦、通力を得と云ふ、故に印度の外道、吾が朝の真言密教にては、荼枳尼法と云ひて、盛んに之を行ふ、

とある(大言海)。

「荼枳尼天」は、

梵語のダーキニー(Ḍākinī)を音訳、

で、

荼吉尼、
陀祇尼、
拏吉尼、
吒祇尼、
吒枳尼、

などとも写す(日本大百科全書)とあるが、

荼吉尼天、
吒枳尼天、

と、「天」をつけるのは、わが国特有で、

中国の仏典では“天”が付くことはなく荼枳尼とのみ記される、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%BC%E6%9E%B3%E5%B0%BC%E5%A4%A9。サンスクリット語ダーキニーDākinīは、

大母神カーリーの使婢たる鬼霊。幻力(マーヤー)を有し、夜間尸林(しりん 墓所)に集会し、肉を食い飲酒し、奏楽乱舞し、性的放縦を伴う狂宴を現出する。人を害する鬼女として恐れられるが、手段を講じてなだめれば非常な恩恵をもたらす。タントラ仏教では彼女ら(〈母〉たち、現実には、特殊な魔術的能力を有するとされる低賤カーストの女性たち)のグループ(荼枳尼網)を、世界の究極的実在としての女性原理であり、悟りを生む知恵でもある〈般若波羅蜜〉とみなし、それと性的に瑜伽(ヨーガ 合一)することによって即身成仏の実現を期する、

とある(世界大百科事典)。ダーキニーの起源は明らかでないが、ヒンドゥー教もしくはベンガル地方の土着信仰から仏教に導入されたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%BC%E6%9E%B3%E5%B0%BC%E5%A4%A9と考えられ、ダーキニーは、

もともと集団や種族を指す名であるが、日本の荼枳尼天は一個の尊格を表すようになった、

とされる(仝上)。で、密教では、

胎蔵界曼陀羅外金剛部院に配される女性の悪鬼、

とされ、

六ヶ月前に人の死を知り、その心臓を食う、

という(広辞苑)。日本では、その本体は、

此れは狐を云ふ、曼荼羅の中では、夜叉と云ふもの也、業通自在にして、速疾身を自由にせり、我が朝の飯綱(いづな)の神と云ふと同類なるべし、

と(真俗仏事編「陀羅尼」の注)、

狐の精、

とされ、白い狐がシンボルになっている、

稲荷大明神、
飯縄(いづな)権現、

と同一視する(広辞苑)。これは、「野干」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485021299.htmlで触れたたように、日本の密教では、閻魔天の眷属の女鬼・荼枳尼(だきに)が、

野干の化身であると解釈され、平安時代以後、野干=狐にまたがる姿の荼枳尼天となる。この日本独特の荼枳尼天の解釈はやがて豊饒や福徳をもたらすという利益の面や狐(野干)に乗っているという点から稲荷神と習合したり、天狗信仰と結び付いて飯綱権現や秋葉権現、狗賓などが誕生した、

ことによるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%B9%B2。因みに、「狗賓」(ぐひん)は、

天狗の一種。狼の姿をしており、犬の口を持つとされる、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%97%E8%B3%93


(荼枳尼天(剣と宝珠を持つ)仏像図彙(1783年) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%BC%E6%9E%B3%E5%B0%BC%E5%A4%A9より)

「夜叉」も、

梵語yakkhaの音写、

で、

インド古代から知られる半神半鬼。もとは光のように速い者、祀(まつ)られる者を意味し、神聖な超自然的存在とみられたらしい。しばしば悪鬼羅刹とも同一視される、

とあり(日本大百科全書)、

夜叉には男と女があり、男はヤクシャ(Yaksa)、女はヤクシーもしくはヤクシニーと呼ばれる。財宝の神クベーラ(毘沙門天)の眷属と言われ、その性格は仏教に取り入れられてからも変わらなかったが、一方で人を食らう鬼神の性格も併せ持った。ヤクシャは鬼神である反面、人間に恩恵をもたらす存在と考えられていた。森林に棲む神霊であり、樹木に関係するため、聖樹と共に絵図化されることも多い。バラモン教の精舎の前門には一対の夜叉像を置き、これを守護させていたといい、現在の金剛力士像はその名残であるともいう、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E5%8F%89。したがって、のちに仏教では、

クベーラ神(毘沙門天)の従者として、仏法を守護する八部衆(はちぶしゅう)の一つに位置づけられた。人に恩恵を与える寛大さと殺害する凶暴さとをあわせもつ性格から、その信仰には強い祈願と慰撫の儀礼を伴う場合が多い、

とある(日本大百科全書)。



「荼」(慣用ダ・タ、漢音ト、呉音ド・ジャ)は、

会意兼形声。「艸+音符余(のびる、ゆるやかにする)」。からだのしこりをのばす薬効のある植物のこと。後一画を省いて茶と書き、荼(にがな)と区別するようになった、

とある(漢字源)。


(「荼」 小篆・説文・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8D%BCより)

「枳」(シ・キ)は、

会意兼形声。「木+音符只(シ 小さい)」。小さい実のなる木、

とあり(漢字源)、「からたち」の意である。



「尼」(漢音ジ・デイ、呉音ニ、ネイ)は、

会意。「尸(ひとのからだ)+比(ならぶ)の略体」で、人が相並び親しむさまを示す。もと人(ニン 親しみ合う)と同系。のち、「あま」の意に転用されたが、尼の原義は昵懇の昵の字に保存された、

とある(漢字源)。別に、


(「尼」 https://kakijun.jp/page/0553200.htmlより)

会意文字です(尸+匕)。「死んで手足を伸ばした人」の象形と「人」の象形から、「人が近づき親しむ」、「ちかづく」を意味する「尼」という漢字が成り立ちました。(また、梵語を漢訳した「比丘尼(びくに)」の略称、「あま」の意味も表します)、

とも解釈されるhttps://okjiten.jp/kanji1385.html


(「尼」 小篆・説文・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B0%BCより)

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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ラベル:荼枳尼天
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2022年01月17日

宇宙の終末


ケイティ・マック(吉田三知世訳)『宇宙の終わりに何が起こるのか』を読む。



著者は、

「宇宙に始まりがあったことはわかっている。約13億年前、宇宙は想像を絶する高密度状態から、一つの火の玉の状態になり、そこから冷えていくうちに、物質とエネルギーが元気に動き回る流体となった。やがてその中に、たくさんの種子ができ、成長して、いま私たちを取り巻いている恒星や銀河になった。惑星が形成され、銀河と銀河が衝突し、光が宇宙を満たした。
 そしてついに、ある渦巻銀河の辺縁部で、ごくふつうの恒星の周りを公転している一つの岩石惑星に、生命体、コンピュータ、政治科学、そして、気晴らしに物理学の本を読む、ひょろっとした二足歩行の哺乳類が誕生した。」

と書き始め、

「だが、『次』はどうなるのだろう? 物語の最後には何が起こるのだろう? 一つの惑星の死、あるいは、一つの恒星の死さえも、理屈の上では人類が生き延びられる可能性はあるだろう。この先何十億年も、人類がさらに存続する可能性はある。現在とは似ても似つかない姿になっているかもしれないが、大胆に宇宙の彼方まで行って、新しい住み処を見つけ、新しい文明を築いているかもしれない。しかし、宇宙そのものの死は決定的である。宇宙のすべてがついには終わってしまうなら、それは私たちにとって、すべてのものにとって、何を意味するの だろう?」

そして、問う、

宇宙そのものはどのように終わるのか、

と。その答えとして、現在考えられている「終末パターン」の5種類を、順次説明していく。つまり、

ビッグクランチ(収縮してつぶれる)、
熱的死(膨張してすべての活動の停止にいたる)、
ビッグリップ(急激に膨張してズタズタになる)、
真空崩壊(真の真空の泡に突然包まれて完全消滅する)、
ビッグバウンス(収縮と膨張を周期的に繰り返す)、

である。

「まずは『ビッグクランチ』から始めよう。これは、現在の宇宙膨張が逆転するのなら起こるであろう、劇的な宇宙崩壊だ。続く二つの章では、ダークエネルギーによってもたらされる終末を2種類論じる。一つは、宇宙が永遠に膨張を続け、徐々に空っぽになり、暗くなっていくもの(熱的死)、そしてもう一つは、宇宙が文字どおり自らズタズタに千切れていくものである(ビッグリップ)。
 その次に登場するのは、『真空崩壊』による終末だが、これは、『死の量子の泡』(正式な専門用語では、『真の真空の泡』とよぶ。公平にいって、こちらもなかなかおどろおどろしい)が自発的に発生し、それが宇宙全体を吞み込んでしまうというものだ。そして最後に、『サイクリック宇宙論』という、現時点ではまだ仮説段階にある領域に踏み込む。ここでは、空間の余剰次元に関する諸理論も論じるが、そのような理論では、私たちの宇宙が並行宇宙と衝突して消滅する可能性がある…… しかも、繰り返し何度も。」

とある諸説は、いずれも破滅的なものだが、ロジャー・ペンローズは、

共形サイクリック宇宙論(宇宙はビッグバンから熱的死までのサイクルを、永遠に何度も繰り返す)、

で、

「次のサイクルに移る際に、何か──前のサイクルのなんらかの痕跡──が生き残るという、魅力的な可能性を含ん でいる。」

としているし、この他にも、

ランドスケープ(私たち自身の宇宙とはまったく異なる条件をもつ可能性のある、さまざまに異なる空間からなる理論上の多宇宙説)、

があり、

「このような多宇宙は、ある特定の種類のインフレーションから生まれる可能性がある。すなわち、もともと存在している永遠の空間というようなものから、新しい多数の泡宇宙が、永久に次々と膨らんで生まれてくるようなインフレーションである」

が、あるいは、

「多宇宙のランドスケープの可能性が、私たちの慰めになるかもしれない。」

とし、

「インペリアル・カレッジ・ロンドンの宇宙論研究者で、宇宙のインフレーションから銀河の進化まで、じつに広範囲に及ぶ研究をおこなっているジョナサン・プリッチャードは、どこか遠方にある、私たちとは結びつきのない領域に、私たちが廃熱にすぎない存在になったずっとあとにも、何かが存在しているかもしれないという考えに希望を見出す。」

と。もちろん、

「でも、私たちはやっぱり死にますよね」。

それにしても、どうも、本書の、

宇宙の終り方、

は、キリスト教的な終末論に近い気がしてならない。

吉田伸夫『宇宙に「終わり」はあるのか-最新宇宙論が描く、誕生から「10の100乗年」後まで』http://ppnetwork.seesaa.net/article/452881667.htmlで触れたように、ここでは、ビックバンから「10の100乗年」後、

ビッグウィンパー、

と名づけられた、永遠の静寂を迎えるとした。

すでに、1兆年先には、ビッグバンの証拠も、膨張し続けた証拠、

ハッブルの法則(「他の銀河が、距離的にはほぼ比例する後退速度で天の川銀河から遠ざかる」)、
ビッグバンの核融合理論値(宇宙に存在する元素のわりあいは、水素全体の3/4、残りの大半をヘリウムが占める)、
宇宙背景放射(ビッグバンの余熱が宇宙歴38万年の熱放射という形で残っている)、

などの痕跡はまったく消えてしまい、

全てのブラックホールが蒸発し、物理現象がほとんど何も起きなくなった熱死に近い状態、

である。ビッグウィンパーとは、エリオットの詩から取られた、

すすり泣きの声、

である。

同じ「熱的死」でも、この「熱的死」は、どこか、

仏教的、

である。

著者は、最後に、

「人類が思考する生物であるかぎり、私たちは問うことをやめないだろう。『次は何が出てくるかな?』」

という言葉で締めくくる。まだ宇宙終末の構想は、新たな宇宙論とともに、次々と出てくるのだろう。

参考文献;
ケイティ・マック(吉田三知世訳)『宇宙の終わりに何が起こるのか』(Kindle版 講談社)
吉田伸夫『宇宙に「終わり」はあるのか-最新宇宙論が描く、誕生から「10の100乗年」後まで』(ブルーバックス)

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2022年01月16日

白波


「白波」は、

白浪、

とも当てるが、文字通り、

伊豆の海に立つ白波(思良奈美 しらなみ)のありつつも継(つ)ぎなむものを、乱(みだ)れしめめや(万葉集)、

と、

白く泡立つ波、

の意(広辞苑)の他に、

白浪五人男、

というように、

盗賊の異称、

としても使う(仝上)。これは、

海上(かいしょう)には海賊多くして白浪(はくろう)の難を去りかねたり(太平記)、

と、

白波、

の、

はくろう、

を訓読したものだが、出典は、後漢書・霊帝紀にみえる、

中平元年(184)張角反、皇甫嵩討之、角余賊在西河白波谷、時號白波賊、

の、

白波賊、

の、

白波、

に依る。張角は、

太平道の教祖、

で、目印として黄巾と呼ばれる黄色い頭巾を頭に巻いたことから、

黄巾(こうきん)の乱(黄巾之乱)、

と呼ばれる。この反乱を契機に後漢が衰退、劉備の蜀、曹操の魏、孫権の呉が鼎立した三国時代に移っていく。

ただ、海賊を、

白波、

山賊を、

緑林、

と区別することもある(岩波古語辞典)、とある。「緑林(りょくりん)」は、文字通り、

木の葉が青々としている林、

の意だが、

盗賊、

の意である。これは、

中国の湖北省当陽県の緑林山、

という山の名で、

前漢の末、王莽(おうもう)の時、王匡(おうきょう)・王鳳(おうほう)等が窮民をひきいてこの山にたてこもり、征討軍に抗して強盗をはたらいたとある、

ところに由来する(漢書・王莽伝、後漢書・劉玄伝)、とある(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。

緑林豪客夜知聞(李渉・遇盗詩)、

それによって、

隴頭秋水、白波之音間聞、辺城暁雲、緑林之陳不定(「本朝文粋(1060頃)」)、

とある(精選版日本国語大辞典)。


(「白」 https://kakijun.jp/page/0595200.htmlより)

「白」(漢音ハク、呉音ビャク)は、

象形。どんぐり状の実を描いたもので、下の部分は実の台座。上半は、その実。柏科の木の実のしろい中身を示す。柏(ハク このてがしわ)の原字、

とある(漢字源)が、


(「白」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%99%BDより)

象形。白骨化した頭骨の形にかたどる。もと、されこうべの意を表した。転じて「しろい」、借りて、あきらか、「もうす」意に用いる、

ともあり(角川新字源)、象形説でも、

親指の爪。親指の形象(加藤道理)、
柏類の樹木のどんぐり状の木の実の形で、白の顔料をとるのに用いた(藤堂明保)、
頭蓋骨の象形(白川静)、

とわかれ、さらに、

陰を表わす「入」と陽を表わす「二」の組み合わせ、

とする会意説もあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%99%BD。で、

象形文字です。「頭の白い骨とも、日光とも、どんぐりの実」とも言われる象形から、「しろい」を意味する「白」という漢字が成り立ちました。どんぐりの色は「茶色」になる前は「白っぽい色」をしてます、

と並べるものもあるhttps://okjiten.jp/kanji140.html



「浪」(漢音呉音ロウ、唐音ラン)は、

会意兼形声。良は◉(穀物)を水でといてきれいにするさま。清らかに澄んだ意を含む。粮(リョウ きれいな米)の原字。浪は「水+音符良」で、清らかに流れる水のこと、

とある(漢字源)が、


(「浪」 小篆・説文・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B5%AAより)

形声。水と、音符良(リヤウ)→(ラウ)とから成る。もと、川の名。のち、借りて「なみ」の意に用いる、

ともある(角川新字源)。さらに、


(「浪」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji1512.htmlより)

会意兼形声文字です(氵(水)+良)。「流れる水」の象形(「水」の意味)と「穀物の中から特に良いものだけを選び出すための器具の象形」(「良い」の意味だが、ここでは、「ザーザーと、うねる波を表す擬態語」)から、「なみ」を意味する「浪」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji1512.html



「波」(ハ)は、

会意兼形声。皮は「頭のついた動物のかわ+又(手)」の会意文字で、皮衣を手で斜めに引き寄せてかぶるさま。波は「水+音符波」で、水面がななめにかぶさるなみ、

とある(漢字源)。「皮」は動物の皮を斜めにかぶったさまで、それをメタファに、水の表面の斜めになっている状態をいっているようだhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B3%A2。別に、

会意兼形声文字です(氵(水)+皮)「流れる水の象形」と「獣の皮を手ではぎとる象形」(「毛皮」の意味)から、毛皮のようになみうつ水、「なみ」を意味する「波」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji405.html


(「波」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji405.htmlより)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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ラベル:白波 白浪 緑林
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2022年01月15日

者(てえ)れば


上の施行によって、須らく箚付(さっぷ 上から下に下ろす公文書)を議(はか)るべし。者(てえ)れば一実右を起こし(太平記)、

とか、

一方欠けんにおいては、いかでかその嘆きなからんや。てへればことに合力(かふりよく)いたして(平家物語)、

などと使われる「者れば」は、

てえ(へ)れば、

と訓ませ、

「と言へれば」の約、

とあり(広辞苑)、

記録体・書簡などで使う語、

とある(岩波古語辞典)。上記二例は、いずれも、牒状(回状)である。

格助詞「と」+動詞「いふ」の已然形+完了の助動詞「り」の已然形+接続助詞「ば」からなる「といへれば」の変化した語。漢文的色彩の強い文章に用いられた、

とあり(学研全訳古語辞典)、

先行の事柄を受け、その結果、後続の事柄が生じたことを示す

もので(精選版日本国語大辞典)、

というわけで、
よって、
されば、

の意となる(仝上)。

「といへり」が「てへり」となったのと同じように、「といへれば」が「てへれば」となった。仮名文では、「といへば」となる。中世の古辞書などでは多く「ていれば」となっており、「文明本節用集」に「者 テイレバ 此事治定之義也」とある、

とある(仝上)。

と言へれば→ていれば→てへれば、

といった転訛となるのだろうか。「てへれば」の、

てへ、

は、

といへの約、

で、「といへ」の「いへ」は、

「言ふ」の已然形・命令形、

であり(岩波古語辞典)、「てへ」の、

てふ、

は、だから、

ちふ、とふ(といふの約)の転、

どある(大言海)。「とふ」は、

吾れのみぞ君に戀ふる吾れが背子が戀云(コフトフ)は言の慰(なぐさ)ぞ(万葉集)、

と使われるが、「とふ」は、

チフ、後に、テフ、

とある(仝上)ので、

と言ふ→ちふ→とふ→てふ、

と転訛したものかと推測する。

うたたねに戀しき人を見てしよりゆめてふものはたのみそめてき(小野小町)、

と、

平安朝よりの歌詞に云へり、

とある(大言海)。


(「者」(「者」旧字) https://kakijun.jp/page/u_j050200.htmlより)

「者(者)」(シャ)は、

象形。者は、柴がこんろの上で燃えているさまを描いたもので、煮(火力を集中してにる)の原字。ただし、古くから「これ」を意味する近称指示詞に当てて用いられ、諸(これ)と同系のことばをあらわす。ひいては直前の語や句を、「~するそれ」ともう一度指示して浮き出させる助詞となった。また、転じて「~するそのもの」の意となる。唐・宋の代には、「者箇(これ)」をまた「遮箇」「適箇」とも書き、近世には適の草書を誤って「這箇」と書くようになった、

とある(漢字源)。中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)には、

者、別事詞也(者とは、事を別つ詞なり)、

とある。その意味では、

といへれば、

に、「者」を当てたのは卓見ということになる。



別に、

旧字「者」は、象形。台の上でまきを重ねて火をたくさまにかたどり、焼く、にる、あつい意を表す。「煮(シヤ)」の原字。借りて、助字「もの」の意に用いる、

とあり(角川新字源)、また、会意説(白川静説)、象形説(藤堂明保説)を併記して、

会意。耂(交差させ集めた木の枝:「老・考」の部首とは異なる)+曰、曰は祝詞を入れる器で、まじない用の土塁を示す。「堵」の原字で「都」等と同系。後に「諸」(人々)の意となる(白川)、
象形。焚火のため木の枝を集めたものを象る、「煮」の原字。古くから近称指示語として用いられ、時代が下り主語を示す助辞となった(藤堂)、
なお、部首は「老部」であるが、上記のとおり字源を異にし、それを明確にするため篆書体やそれを受けた(清代の1716年編纂の)康煕字典体では左払いの下に点を打つ。しかし、(明の万暦43年(1615)編纂の)字彙以前に確立した楷書体などにはすでに点は無く「老部」と同形である、

としているhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%80%85


(「者」 金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%80%85より)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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2022年01月14日

進化史の新参者


斎藤成也編『図解 人類の進化―猿人から原人、旧人、現生人類へ』を読む。



本書は、

人類進化、

を、綜合的に解説するべく、

進化のしくみ(第1~4章)、
人類のあゆみ(第5~12章)、

に分けて展開している(はじめに)。「人類のあゆみ」の部分は、溝口優司『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』http://ppnetwork.seesaa.net/article/484577228.htmlとほぼ重なる。全体の中で、特に、

進化とは、

の章(第1象)の、

自然淘汰ではうまく説明できない現象、

たとえば、生物の進化をタンパク質やDNAなどの分子レベルでの研究をする分子進化学において、

いろいろな生物のタンパク質のアミノ酸配列を決定し比較、

してみると、

同じ種類のタンパク質(たとえばヘモグロビンを構成するグロビン)のアミノ酸の違いをいろいろな生物で比較すると、アミノ酸の変化する量がほぼ時間に比例していました。進化速度が一定であり、時計のように規則正しく時を刻んでいるように見えるので、この現象を分子時計とよびます。

という、進化に対して、アミノ酸が変化をもたらさない、という矛盾に対して、木村資生(もとお)他の、

中立進化論、

が面白い(1968年)。中立進化論は、

突然変異を進化の原動力と考えています。突然変異は無秩序に生ずるので、生物にとって有害なものも多数生じますが、これらは短時間のうちに消えてゆくので、長期的には進化には寄与しません。この過程を負の自然淘汰あるいは純化淘汰とよびます。この部分については中立進化論でも淘汰進化論でも同じです。
両者の見解が大きく異なるのは、進化に長期的に寄与する突然変異についてです。淘汰進化論では、生存に有利な突然変異をもつ個体だけが進化の過程で生き残ってゆくと考えます。この過程を正の自然淘汰とよびます。しかし突然変異が生じても、生物が生きてゆく上であまり影響がないことがあります。これを淘汰上中立であるといいます。このタイプの中立突然変異は、生物に有利な突然変異よりもずっと頻繁に生じます。このような中立突然変異をもつ個体が子孫を増やせるかどうかは、遺伝的浮動による、

と考える。「遺伝的浮動」とは、

遺伝子の割合を表す遺伝子頻度が偶然に変化する現象であり、生物の個体数が有限であることから生じます、

ということで、

たまたま運よく生き残る中立突然変異遺伝子もあれば、他のものより生存に有利に働く遺伝子であっても、運悪く消えてゆくものもあるのです。その結果、生き残る遺伝子の大部分は中立突然変異になります、

ということになる。

分子レベルでの遺伝子の突然変異は、そのほとんどが自然選択に対し有利でも不利でもない中立なもので、それが集団中に広まるのは偶然によって決まる。すなわち、遺伝子の広まりの決定要因には、運のよさ(サバイバル・オブ・ザ・ラッキスト)と適者生存(サバイバル・オブ・ザ・フィッテスト)が関係している、

となりhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E7%AB%8B%E9%80%B2%E5%8C%96%E8%AA%AC

中立説と自然選択説は並立する概念、

ということらしい(仝上)。こうみると、

進化の中心、ゲノムDNA、

の章(第2章)は、なおさら興味深いが、

現在のヒトゲノム、

に到達するまでに、

脊椎動物の起源に近い祖先種は、現在生存している頭索類のナメクジウオに似た種、

のゲノムから、

頭索類と脊椎動物の分岐以後から軟骨魚類の分岐以前に、

2回のゲノム重複、

をくり返した、とされる。つまり、生物を形作るDNA遺伝情報のすべてひと揃いであるゲノムの、

全体が重複することで遺伝子数が飛躍的に増え、その後消失していく重複した遺伝子がある一方で、一部の遺伝子は新たな機能を獲得し、より複雑な体制の動物に進化、

していくことになるが、現時点では、

ヒト化に決定的に働いた遺伝子進化、

は、候補はあるが、とらえきれていない、という。


(ホモサピエンス拡散ルートと年代 本書より)

なお、猿人、原人、旧人、新人、という、「人類のあゆみ」の部分は、溝口優司『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』http://ppnetwork.seesaa.net/article/484577228.htmlとほぼ重なるが、「ホモ・サピエンス」は、

6~5万年前ごろ、

から、アフリカから、急速に世界に広がっていた。しかし、

1種類の生物が、このように地球上の気候も湿度も異なる多様な環境下に分布しているというのは、きわめて異例なことなのです。(ユーラシアの南部までに留まった)旧人の分布範囲を見てみると、この時点ではまだ世界の半分以上が人類のいない土地であったことに気づくでしょう。つまり私たちホモ・サピエンスは、原人や旧人たちには越えられなかった自然の障壁を次々と突破して、ついには世界全体へ広がってしまった種なのです。

しかも、3万年ほどまえには、

ネアンデルタール人、

が、そして、

インドネシアのフローレンス島にいたきわめて(1mと)低身長のホモ属の系統が(数万年前)絶滅した後、地球上に生存するホモ属の生物はヒトだけです。今後どうなるのでしょうか。いいかえると、ヒトは新しい種を生み出すことがあるのでしょうか。

という問いは、なかなか意味深である。ホモ・サピエンスが登場して以降(10万年前)のほうが、原人登場以降(1000~700万年)の長い年月を考えると、ほんの短時間でしかないことを思い知らされます。

そう見ると、人種などというのは、外見の違い程、ミトコンドリアDNAの多様性パターンで見ると、

現代人どうしの遺伝子の違いは、ごく限られたものでしかありません。ヒトと近縁な類人猿たちは、……その遺伝的変異はヒトの何倍も大きい、

のである。これは、

現世類人猿たちが長い進化史を持っているのに対して、ヒトはごく最近に共通祖先から分化した新参者であることを反映している、

のである。まだ、ヒトの進化史は始まったばかりということになる。


(ミトコンドリアDNAにもとづく現代人と現生類人猿の遺伝距離 本書より)

参考文献;
斎藤成也編『図解 人類の進化―猿人から原人、旧人、現生人類へ』(ブルーバックス)

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2022年01月13日

涯分


不肖の身としてこの一大事を思ひ立ち候事、涯分を量(はか)らざるに似たりと云へども(太平記)、

の、

涯分、

は、

がいぶん、

と訓むが、

かいぶん、

とも訓ます(精選版日本国語大辞典)。

逍遥飲啄安涯分、何假扶揺九萬爲(蘆象詩)、

と、

身分に相応したこと、
身の程、

の意であり(字源)、そこから、

環視其中所有、頗識涯分(曾鞏文)、

と、

本分、

の意にもなる(仝上)が、「涯分」は、

かぎり、

の意である。さらに、

涯分武略を廻ぐらし、金闕無為なるやう成敗仕るべし(「平治物語(1220頃)」)、

と、

「身分相応に」の意から転じて、副詞的に、

自分の力の及ぶ限り、精一杯、

の意でも用いる(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。

日本で中世以降に生じた用法である。本来名詞として用いられた漢語が、副詞としての用法に転じたという点は「随分」などと同様の変化をたどっている、

とある(仝上)。「随分」http://ppnetwork.seesaa.net/article/463881312.htmlについては、触れた。

「涯分」を超えると、

報国の忠薄くして、超涯の賞を蒙らん事、これに過ぎたる国賊や候ふべき(太平記)、

と、

度を超えたること、
分限に過ぎたること、

の意、つまり、

過分、

の意で、

超涯、

といい(大言海・広辞苑)、

身分不相応の昇進、
異例の抜擢、

を、

労功ありとて、超涯不次の賞を行はれける(太平記)、

と、

超涯不次(ちょうがいふじ)、

と使う(デジタル大辞泉)。しかし、それを、

シカラバ イカナルセイカノツマトモナシ、chôgai(チョウガイ)ノガイタクニホコルベシ(「サントスの御作業(1591)」)、

と、

一生涯にわたっていること、

の意でも使う例がある(精選版日本国語大辞典)。「涯」を、

果て、

と見なせば、「涯分」を、

精一杯、

と見なしたのと同じかと見える。



「涯」(漢音ガイ、呉音ゲ)は、

会意兼形声。厓(ガイ)は、「圭(土盛り)+音符厂(ガン・ガイ 切り立った姿)」の会意兼形声文字で、崖と同じく、切り立ったガケのこと。涯はそれを音符とし、水を加えた字で、水辺のがけ、つまり岸を表す、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(氵(水)+厓)。「流れる水」の象形と「削り取られた崖の象形と縦横線を重ねて幾何学的な製図」の象形(「傾いた崖」の意味)から、崖と水との接点「水際」を意味する「涯」という漢字が成り立ちました。転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「果て」の意味も表すようになりました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1833.html


(「涯」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji1833.htmlより)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2022年01月12日

蚍蜉大樹を動かす


この兵を以て、かの大敵に合はん事、たとへば蚍蜉の大樹を動かし、蟷螂の隆車を遮らんとするが如し(太平記)、

と、

蚍蜉(ひふ)大樹を動かす、

と、

蟷螂(とうろう)の隆車を遮らんとする、

は、共に、

弱者が自分の力や身分を弁えず、強者に立ち向かう、無謀で、身の程知らずの振舞い、

の喩えとして使われ(故事ことわざの辞典・広辞苑)、ほぼ同義である。「蚍蜉」は、

大蟻、

の意(字源・広辞苑)、あるいは、

羽アリ、

の意であり(白水中国語辞典)、

蚍蜉撼大樹(蚍蜉大樹を撼(うご)かす)、

は、時に後に

「可笑不自量」を伴う、

とある(仝上)のは、

蚍蜉撼大樹(蚍蜉大樹を撼(うご)かす)、
可笑自不量(笑うべし自ら量(はか)らざるを)、

からきている(韓愈・調張籍(張籍を調(の)ぶ)詩)。

蟷螂の隆車を遮らんとす、

は、

蟷螂の斧、
蟷螂が斧、
蟷螂が斧を以て隆車(りゅうしゃ)に向かう、
蟷螂車を遮る、
蟷螂の怒り、
蟷螂手を挙げて毒蛇を招き、蜘蛛網を張りて飛鳥を襲う、
蟷螂車轍(しゃてつ)に当る、

などともいう(故事ことわざの辞典)。「隆車」は、

大きな車、

の意。出典は、「淮南子(えなんじ)」人間訓の、

齊莊公出獵(斉(せい)の荘公出でて猟す)、
有一蟲、擧足將搏其輪(一虫有あり、足を挙て将に其の輪を搏(う)たんとす)、
問其御曰、此何蟲也(其の御に問いて曰く、此何の虫ぞや)、
對曰、此所謂螳螂者也(対えて曰く、此所謂螳螂なる者なり)、
其爲蟲也、知進而不知却、不量力而輕敵(其の虫たるや進むを知りて却くを知らず、力を量らずして敵を軽んず)、
莊公曰、此爲人而必爲天下勇武矣(荘公曰く、此人為(た)らば必ず天下の勇武為らん)、
廻車而避之(車を廻らして之を避さく)、
勇武聞之、知所盡死矣(勇武之を聞き、死を尽す所を知る)、

とか(https://kanbun.info/koji/toro.html・故事ことわざ辞典)、荘子・人間世(じんかんせい)の、

猶蟷螂之怒臂、以当車轍、則必不勝任矣(猶蟷螂の臂を怒らして以て車轍に当たるが如し、則ち必ず任に勝(た)へず)、

とか(故事ことわざの辞典)、後漢書・袁紹傳の、

乃欲運蟷螂之斧、禦隆車之隧(スイ 道)、

等々ある(http://fukushima-net.com/sites/meigen/246・故事ことわざの辞典・大言海)。『淮南子』の言葉は、

強敵を恐れない勇敢な姿、

の喩えとして使われているので、今日の「蟷螂の斧」の意味からは少しはずれる。荘子の言葉は、

中国の春秋時代、衛という国で、太子のお守り役に任命されたある人物が、太子が凶暴な性格であることを知って、どうしたものか蘧伯玉(きょはくぎょく)に相談をしました。すると蘧伯玉は、「螳螂を知らざるか、其の臂(ひぢ)を怒らして以て車轍に当たるを」と言って、身のほど知らずのことはせず、相手に合わせていくのがよいでしょう、と諭した、

というところからきている(故事成語を知る辞典)。これが今日の意味になる。

なお、漢文では、「蟷螂」は、

螳蜋、
螗蜋、

などとも書かれる(仝上)。類義の諺に、

石亀の地団駄、
小男の腕立て、
ごまめの歯ぎしり、
泥鰌の地団駄、
竜の鬚を蟻が狙う、

等々がある(故事ことわざ辞典)とされるが、

石亀の地団駄、
ごまめの歯ぎしり、
泥鰌の地団駄、

は、ちょっと含意が異なるような気がする。

「蚍」(ヒ)は、中国最古の字書『爾雅(じが)』(秦・漢初頃)に、

蚍蜉大螘、

とあり(螘は蟻)、

蚍蜉蟻子之援(ヒフキセシノエン 少しばかりの援兵に喩ふ 韓愈、張中丞伝後序「外無蚍蜉蟻子之援」)、
蚍蜉憾大樹(ヒフタイジュヲウゴカス 見識狭き者が妄りに大学者を批評するに喩ふ 韓愈詩「蚍蜉憾大樹、可笑不自量」)、

と、「蚍蜉」の用例以外載っていなかった(字源)。


(「蜉」 https://kakijun.jp/page/E58A200.htmlより)

「蜉」(慣用フ、漢音フウ、呉音ブ)は、

会意兼形声。「虫+音符孚化(フ =浮かぶ)」で、空中に浮遊する虫、

とある(漢字源)。「蜉蝣」は、蜻蛉の意となる。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2022年01月11日

言語の価値と美


吉本隆明『言語にとって美とはなにかⅠⅡ』を読む。



何度目かの読み直しになるが、今回新たに気づいたことがある。吉本の言語論は、

この人間が何ごとかを言わねばならないまでにいたった現実的な与件と、その与件にうながされて自発的に言語を表出することとのあいだに存在する千里の径庭を言語の自己表出として想定することができる。自己表出は現実的な与件にうながされた現実的な意識の体験が累積して、もはや意識の内部に幻想の可能性として想定できるにいたったもので、これが人間の言語の現実離脱の水準をきめるとともに、ある時代の言語の水準の上昇度をしめす尺度となることができる。言語はこのように対象に対する指示と対象に対する意識の自動的水準の表出という二重性として言語の本質をなしている。

と、言語を、

自己表出、
と、
指示表出、

の二次元でとらえ、言語の、

人間の意識の指示表出であることによって自己表出であるか、自己表出(対自)であることによって指示表出(対他)としてあらわれる、

ことについて、

人間が、じぶんを〈人間〉として意識の対象としうるようになったことと、人間が実在の牝牛を、〈牝牛〉という名称で呼びうるようになったこととは、別のことではない、

と説き、

言語が知覚とも実在とも異なった次元に属するのは、人間の自己意識が、自然意識とも知覚的意識とも対象的にちがった次元に属しうることの証左にほかならない。このようにして、言語は、ふつうのとりかわされるコトバであるとともに、人間が対象的世界に関係する意識の本質である。この関係の仕方のなかに言語段階の現存性と歴史性の結び目があらわれる。

と、言語表現の高度化を、

自己表出、

指示表出、

を指針に、分析していく。この、二つは、時枝誠記の、

話者の立場からの表現であることを示す「辞」

表現される事物、事柄の客体的概念的表現である「詞」、

あるいは、三浦つとむの、

主体的表現、

客体的表現、

と発想は同じである。ただ、吉本は、この両者を、例えば、

縦軸に自己表出、
横軸に指示表出、

をとる座標として、たびだび図解する。そして、言語の意味と価値の関係を、

言語の意味は、指示表出経路、
言語の価値は、自己表出経路、

とし、

指示表出からみられた言語の関係は、それがどれだけいわんとする対象を鮮明に指示しえているかというところの有用性ではかることができるが、自己表出からみられた言語の関係は、自己表出力という抽象的な、しかし、意識発生いらいの連続的転化の性質をもつ等質な歴史的現存性の力を想定するほかないのである。

と、表現の、

各時代とともに連続的に転化する自己表出のなかから、おびただしく変化し、断続し、ゆれうごく現在的な社会と言語の指示性とのたたかいをみているとき、価値をみている、

と言明する。以降、指示表出と相渡りつつ自己表出が高度化するたたかいを分析するその鋭い筆力には目を見張るが、僕が気になったのは、時枝誠記の、

話者の立場からの表現であることを示す「辞」

表現される事物、事柄の客体的概念的表現である「詞」、

あるいは、三浦つとむの、

主体的表現、

客体的表現、

を、

自己表出、

指示表出、

に置き換えたとき、吉本は、大事なものを捨象してしまったのではないか、と気づいたことだ。たとえば、三浦つとむ『日本語はどういう言語か』http://ppnetwork.seesaa.net/article/483830026.htmlでも触れたが、

われわれは、生活の必要から、直接与えられている対象を問題にするだけでなく、想像によって、直接与えられていない視野のかなたの世界をとりあげたり、過去の世界や未来の世界について考えたりしています。直接与えられている対象に対するわれわれの位置や置かれている立場と同じような状態が、やはりそれらの想像の世界にあっても存在するわけです。観念的に二重化し、あるいは二重化した世界がさらに二重化するといった入子型の世界の中を、われわれは観念的な自己分裂によって分裂した自分になり、現実の自分としては動かなくてもあちらこちらに行ったり帰ったりしているのです。昨日私が「雨がふる」という予測を立てたのに、今朝はふらなかつたとすれば、現在の私は
       予想の否定 過去
雨がふら なく あった
というかたちで、予想が否定されたという過去の事実を回想します。言語に表現すれば簡単な、いくつかの語のつながりのうしろに、実は……三重の世界(昨日予想した雨のふっている〃とき〃と今朝のそれを否定する天候を確認した〃とき〃とそれを語っている〃いま〃=引用者)と、その世界の中へ観念的に行ったり帰ったりする分裂した自分の主体的な動きとがかくれています。

と、話者にとって、語っている〃いま〃からみた過去の〃とき〃も、それを語っている瞬間には、その〃とき〃を現前化し、その上で、それを語っている〃いま〃に立ち戻って、否定しているということを意味している。入子になっているのは、語られている事態であると同時に、語っている〃とき〃の中にある語られている〃とき〃に他ならない、という入子構造を、自己表出と指示表出の二次元化することによって、見落としてしまったのではないか。「辞」(主体的表現)の中に、「詞」(客体的表現)が、何層にも入子にできる。たとえば、

という表現の示しているのは、「桜の花が咲いてい」る状態は過去のことであり(〃いま〃は咲いていない)、それが「てい」(る)のは「た」(過去であった)で示され、語っている〃とき〃とは別の〃とき〃であることが表現されている。そして「なァ」で、語っている〃いま〃、そのことを懐かしむか惜しむか、ともかく感慨をもって思い出している、ということである。この表現のプロセスは、
①「桜の花が咲いてい」ない状態である〃いま〃にあって、
②話者は、「桜の花の咲いてい」る〃とき〃を思い出し、〃そのとき〃にいるかのように現前化し、
③「た」によって時間的隔たりを〃いま〃へと戻して、④「なァ」と、〃いま〃そのことを慨嘆している、
という構造になる。これはいくらでも入子にできる。

ここで大事なことは、辞において、語られていることとの時間的隔たりが示されるが、語られている〃とき〃においては、〃そのとき〃ではなく、〃いま〃としてそれを見ていることを、〃いま〃語っているということである。だから、語っている〃いま〃からみると、語られている〃いま〃を入子としているということになる。その文学的な表現については『語りのパースペクティブ』http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic1-1.htmで触れた。二次元的に、

指示表出、

自己表出、

を交差させるだけでは、自己表出の中に、

「『「指示表出」自己表出』自己表出」自己表出、

を何層も入子にしていく次元を異にする自己表出の多層的な表現の複雑さは、対象から漏れてしまうのではないか。たとえば、『語りのパースペクティブ』http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic1-1.htmで触れた、古井由吉の『木曜日に』にみる、「私」が、宿の人々への礼状を書きあぐねていたある夜更け、「私の眼に何かがありありと見えてきた」ものを現前化する、

「それは木目だった。山の風雨に曝されて灰色になった板戸の木目だった。私はその戸をいましがた、まだ朝日の届かない森の中で閉じたところだった。そして、なぜかそれをまじまじと眺めている。と、木目が動きはじめた。木質の中に固く封じこめられて、もう生命のなごりもない乾からびた節の中から、奇妙なリズムにのって、ふくよかな木目がつぎつぎと生まれてくる。数かぎりない同心円が若々しくひしめきあって輪をひろげ、やがて成長しきると、うっとりと身をくねらせて板戸の表面を流れ、見つめる私の目を眠気の中に誘いこんだ。」

という表現の、厳密に言うと、木目を見ていたのは、手紙を書きあぐねている〃とき〃の「私」ではなく、森の山小屋にいた〃そのとき〃〃そこ〃にいた「私」であり、その「私」が見ていたものを「私」が語っている。つまり、
 ①「私」について語っている〃いま〃
 ②「私」が礼状を書きあぐねていた夜更けの〃とき〃
 ③山小屋の中で木目を見ていた〃とき〃
 ④木目になって感じている〃とき〃
 の四層が語られている。しかし、木目を見ていた〃とき〃に立つうちに、それを見ていたはずの「私」が背後に隠れ、「私」は木目そのものの中に入り込み、木目そのもののに〃成って〃、木目が語っているように「うっとり」と語る。見ていたはずの「私」は、木目と浸透しあっている。動き出した木目の感覚に共感して、「私」自身の体感が「うっとり」と誘い出され、その体感でまた木目の体感を感じ取っている。

「節の中心からは、新しい木目がつぎつぎに生まれ出てくる。何という苦しみだろう。その時、板戸の一隅でひとすじのかすかな罅がふと眠りから爽やかに覚めた赤児の眼のように割れてわずかに密集の中へ喰いこみ、そのまま永遠に向かって息をこらしている……。私も白い便箋の前で長い間、息をこらしていた。」

と、最後に、視線は、〃いま〃語っている「私」へと戻ってくる。そして、その「私」のパースペクティブの入子になって書きあぐねていた〃そのとき〃の「私」の視線があり、その入子となって、小屋の中で木目を見ていた〃そのとき〃があり、更に木目に滑り込んで、木目に感応していた〃そのとき〃がある。と同時に、浸潤しあっていたのは、〃そのとき〃見ていた「私」だけでなく、それを〃いま〃として、眼前に思い出している語っている「私」もなのだということである。
 そのとき、《見るもの》は《見られるもの》に見られており、《見られるもの》は《見るもの》を見ている。《見るもの》は、《見られるもの》のパースペクティブの中では《見られるもの》になり、《見られるもの》は、《見るもの》に変わっていく。あるいは《見るもの》は《見られるもの》のパースペクティブを自分のものとすることで、《見られるもの》は《見るもの》になっていく。その中で《見るもの》が微妙に変わっていく。だが、その語りは、語っている「私」が、〃いま〃見たのにすぎない。〃いま〃そのときを思い出して語っている「私」も、その入子になっている「私」も、木目も、その距離を埋めることはない。いやもともと隔たりも一体感も「私」が生み出したものなのだ。ただ、「私」はそれに〃なって〃語ることで、三者はどこまでいっても同心円の「私」であると同時に、それはまた「私」ではないものになっていく。それが「私」自身をも変える。変えた自分自身を語り出していく。そういう語りの構造は評価できなくなる。

この表現の構造は、

「腹をくだして朝顔の花を眺めた。十歳を越した頃だった。」(『槿』)

では、主人公を語っている〃いま〃と、主人公が朝顔を眺めている〃とき〃とは一致しているわけではないから、
 ①主人公を語っている〃とき〃
 ②主人公が朝顔を眺めている〃とき〃
 ③主人公に語られている、「十歳を越した」〃そのとき〃
 と、三重構造になっているというべきである。同時に、思い出されている〃そのとき〃の場面と、それを思い出している〃いま〃の場面とが、それを語る語り手のいる〃とき〃から、二重に対象化して、語り手は、それぞれを〃いま〃として、現前させているということにほかならない。

こうした入子になった語りが、何層にも折り重なっている、単に指示表出と自己表出の交差だけではとらえきれない、次元を異にする語りの層の積重ねが持つ表現の意味が見逃されていくのではないか、そんな危惧を感じた。

たとえば、「〈価値〉としての言語」をたかめるものとする「喩」について、吉本は、

喩は言語の表現にとって現在のところ最も高度な選択であり、言語がその自己表出のはんいをどこまでもおしあげようとするところにあらわれる、

と、あくまで、指示表出との二次元的な対比の中で見ようとしているが、例えば「雪の肌」といった簡単なメタファでも、
 「雪」■、
と、「雪」という「詞」の「のような」という「辞」を零記号化した隠れた入子構造としてみた方が、メタファの立体的な構造がより明確なはずだ。因みに、「零記号」とは、


のように、「認識としては存在するが表現において省略されている」(三浦・前掲書)場合の、「言語形式零という意味」(仝上)を、ゼロ記号と呼んでいる(『語りのパースペクティブ』http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic1-1.htm参照)。これが、今回気になった一点目だ。

第二点目は、

言語にとって美とはなにか、

というタイトルなのに、「美」については言及がないことだ。ここは憶測なのだが、吉本は、

美、

を、

価値、

に置き換えているのではないか、という気がする。価値についてはしばしば言及がある。たとえば、

〈海〉という言葉を、意識の自己表出によってうちあげられた頂で、海の象徴的な像をしめすものとしてみるとき、価値として〈海〉という言葉を見ている。逆に、〈海〉という言葉を、他に対する訴え、対象的指示として、いいかえれば意識の指示表出のはてに、海の像をしめすものとしてみるとき、〈海〉ということばを意味としてみている。

だから、言語の価値は、

意識の自己表出からみられた言語構造の全体の関係、

だと定義する。さらに、古典について、

その意味を理解するために、意識的に予備知識をさぐることがひつようであるにもかかわらず、その価値はわたしたちになおなまなましく通じるものをもつのは、価値が、意識発生いらいの累積として連続性をもつ意識の自己表出にかかわり、しかもその強さにかかわる側面をもつからである。

とも。このとき、言語の価値ある表現は、

美、

と置換可能であるように読み取れ、確かに、

言語の価値という概念は、そのまま文学の価値(芸術の価値)に拡大できる、

としている。そして、

言語の価値という概念は、意識を意識の方へかえすことによってはじめて言語の内部で成立つ概念であり、その意味では言語は意識に還元される。しかし、言語の芸術的表現である文学の価値は、意識に還元されず、意識の外へ、そして表現の内部構造へとつきすすむ。そこでは、言語の指示表出は、文学の構成にまで入り組んだ波をつくり、言語の自己表出は、この構成の波形をおしあげたり、おろしたりしてこれにつきまとうインテグレーションを形成する。だから言語の価値を還元という概念から、表出という概念の方へ転倒させることによって、文学の価値はただ言葉の上からは、きわめて単純に定義することができる。自己表出からみられた言語表現の全体の構造の展開を文学の価値とよぶ。

と。では、

言語の美、文学の美は?

それにかかわる言及は、

文学の価値は、個々の鑑定者にとっては、つねに個人的である。しかし、この個別性は読みこんでゆくかぎり文学表現の価値に収斂するほかに収斂の方向はかんがえられないというだけだ。

と、これだけである。しかし、「美」は、価値の下位概念ではあるが、イコールではない気がする。だから、続いて吉本はこう書いている。

ここで定義された文学の価値の概念は、ひとたびその概念の次元をくずせば、さまざまな現実上の主張と問題にぶつかる。わたしたちがみている集団政策の倫理も、美的体験の理念も、倫理主義も、百花のように、そこでは自己主張するし、現にしているのである。そして、わたしたちも現実的な効用についての主観と決意の次元では、この百花のなかの一つに加わって乱戦者のひとりになる。

つまりは、価値に比べれば、美は主観的なものに過ぎないということなのかもしれない。それなら、本書のタイトル、

言語にとって美とはなにか、

は何なのか。大きな疑問が残る。

あるいは別の視点から見ると、吉本は、前出の、

各時代とともに連続的に転化する自己表出のなかから、おびただしく変化し、断続し、ゆれうごく現在的な社会と言語の指示性とのたたかいをみているとき、価値をみているのである、

に続けて、

そして、言語にとっての美である文学が、マルクスのいうように、「人間の本質力が対象的に展開された富」のひとつとして、かんがえられるものとすれば、言語の表現はわたしたちの本質力が現在的社会とたたかいながら創りあげている成果、または、たたかわれたあとに残されたものである、

と、書いている。この文意から考えると、

各時代とともに連続的に転化する自己表出のなかから、おびただしく変化し、断続し、ゆれうごく現在的な社会と言語の指示性とのたたかい、

の成果である、

自己表出の高い嶺、

である、

文学、

に、

価値を見、美を見ている、

と。つまり、ここで言う、

言語にとって美とはなにか、

とは、その高い嶺である、

文学、

のそれである、と。「表出」と「表現」にこだわる記述からして、あり得るが、それなら、タイトルは、

文学にとって美とはなにか、

でなくてはならないのではないか。



参考文献;
吉本隆明『言語にとって美とはなにかⅠⅡ』(勁草書房)
三浦つとむ『日本語はどういう言語か』(季節社)
時枝誠記『日本文法 口語篇』(岩波全書)

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2022年01月10日

紅顔翠黛


その昔、紅顔翠黛の世に類ひなき有様を、ほのかに見染し玉簾の、ひまもあらばと三年(みとせ)余り恋慕しけるを、とかく方便(てだて)を廻らして盗みい出してぞ迎へける(太平記)、

とある、

紅顔翠黛(こうがんすいたい)、

は、

紅(くれない)の顔と翠(みどり)の眉墨、

で、

翠黛紅顔錦繍粧(翠黛紅顔錦繍(きんしゅう)の粧(よそお)ひ)、
泣尋沙塞出家郷(泣くなく沙塞(ささい)を尋ねて家郷を出づ)、

と(「和漢朗詠集(1018頃)」)、

容貌の美しい、

意である(兵藤裕己校注『太平記』)。

「紅顔」は、

朝有紅顔誇世路(朝(あした)には紅顔ありて世路(せろ)に誇れども)、
暮為白骨朽郊原(暮(ゆふべ)には白骨となりて郊原(かうげん 野辺)に朽(く)つ)、

と(「和漢朗詠集(1018頃)」)、

年若い頃の血色のつやつやした顔、

の意(広辞苑)で、

此翁白頭眞可憐、伊(これ)昔紅顔美少年、

と(劉廷芝)、

少年をいふ、

が(字源)、

嗟呼痛しきかも紅顔は三従(さんしょう)と長(とこしなえ)に逝き(万葉集)、

と、

婦人の麗しい容貌、

をもいう(広辞苑)。

漢字「紅」は、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)によると、

赤糸と白糸からなる布の色、すなわち桃色、ピンク、

であり、中国ではその後、紅が赤を置き換えたhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B4%85、とある。

赤は、きらきらとあかきなり(字源)、火のあかく燃える色(漢字源)、
紅は、桃色なり、
丹は、丹沙の色なり、大赤なり、
緋は、深紅色なり(字源)、目の覚めるような赤色(漢字源)、
絳(コウ)は、深紅の色(漢字源)、大赤色なり(字源)、
茜(セン)は、夕焼け色の赤色(漢字源)、
殷(アン)は、赤黒色なり、血の古くなりて黒色を帯びたるをいふ、

と(字源・漢字源)、赤系統の色の区別があり、「紅」は、

桃色に近いあか色、

である。

少年の顔色、

に、似つかわしい。「紅」を

くれなゐ、

と訓むのは、

呉(くれ)の藍(あゐ)、

と、中国から来た染料の意(漢字源)、とある。

「翠黛」は、

燕姫翠黛愁(杜甫)

と、

みどりのまゆずみ、

の意、さらに、

そのまゆずみで描いた美しい眉、

を指し(精選版日本国語大辞典)、それをメタファに、

煙波山色翠黛横(彦周詩話)、

と、

青き山の形容(字源)、
緑にかすむ山のたとえ(精選版日本国語大辞典)、

にも使い、さらに、

翠黛開眉纔画出、金糸結繭未繰将(「菅家文草(900頃)」)、

と、

柳の葉、

にも喩える(精選版日本国語大辞典)。


(「翠」 https://kakijun.jp/page/1495200.htmlより)

「翠」(スイ)は、

会意兼形声。「羽+音符卒(シュツ 小さい、よけいな成分を去ってちいさくしめる)」。からだの小さな小鳥のこと。また汚れを去った純粋な色、

とある(漢字源)が、別に、

形声文字です(羽+卒)。「鳥の両翼」の象形(「羽」の意味)と「衣服のえりもとの象形に一を付した」文字(「神職に携わる人の死や天寿を全うした人の死の時に用いる衣服」の意味だが、ここでは、「粹(スイ)」に通じ(「粹」と同じ意味を持つようになって)、「混じり気がない」の意味)から、色に混じり気のない羽の鳥「かわせみ」を意味する「翠」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji2662.html


(「翠」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji2662.htmlより)

「黛」(漢音タイ、呉音ダイ)は、

形声。黒+音符代、

とあるのみだ(漢字源)が、


(「黛」 https://kakijun.jp/page/1678200.htmlより)

別に、

会意兼形声文字です(代+黒)。「横から見た人の象形と2本の木を交差させて作ったくいの象形」(人がたがいちがいになる、すなわち「かわる」の意味)と「煙出しにすすが詰まった象形と燃えあがる炎の象形」(すすの色が黒い事から、「黒い」の意味)から、「人の眉にとってかわる黒いすみ」を意味する「黛」という漢字が成り立ちました、

との解釈があるhttps://okjiten.jp/kanji2542.html


(「黛」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji2542.htmlより)

「紅」(漢音コウ、呉音グ、慣用ク)は、

形声。糸+音符工(コウ)、

としかない(漢字源)が、



別に、

形声。「糸」+音符「工」、同義同音字「絳」。植物性原料による染料(「糸」を染めるもの)。説文解字によると、赤糸と白糸からなる布の色、すなわち桃色、ピンク。中国ではその後、紅が赤を置き換えた、

とかhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B4%85

形声文字です(糸+工)。「より糸」の象形と「工具(のみ又はさしがね)の象形」(「作る」意味だが、ここでは「烘(コウ)」に通じ(同じ読みを持つ「烘」と同じ意味を持つようになって)、「赤いかがり火」の意味)から、「あかい」、「べに」を意味する「紅」という漢字が成り立ちました、

とかhttps://okjiten.jp/kanji927.htmlの解釈がある。


(「紅」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji927.htmlより)

「顔(顏)」(漢音ガン、呉音ゲン)は、

会意兼形声。彥(ゲン)彦は「文(もよう)+彡(もよう)+音符厂(ガン 厂型にかどがたつ)」の会意兼形声文字で、ひたいがひいでた美男のこと。顏は「頁(あたま)+音符彥(ゲン)で、くっきりした美男のひたい、

とあり(漢字源)、

「厂(がけ)」は、岸(水辺のがけ)、雁(厂型に飛ぶ雁)と同系で、くっきりと角張っている意を含む、

とある(仝上)。


(「顔」 https://kakijun.jp/page/1837200.htmlより)

別に、

会意兼形声文字です(彦(彥)+頁)。「人の胸に入れ墨した」象形(模様、彩り」の意味)と「崖」の象形(「崖」の意味だが、ここでは、「鉱物性顔料」の意味)と「長く流れる豊かでつややかな髪」の象形(「模様、彩り」の意味)と「人の頭部を強調した」象形から「化粧をする部分、かお」を意味する「顔」という漢字が成り立ちました、

との説明もあるhttps://okjiten.jp/kanji20.html


(「顔」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji20.htmlより)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2022年01月09日

犂牛


犂牛の喩へ、その理(ことわ)りしかなり。罰その罪にあり、賞その功に依るを、善政の最(さい)とする(太平記)、

とある、

「犂牛(りぎゅう)」は、

毛色のまだらな牛、
まだらうし、

の意(広辞苑・精選版日本国語大辞典)で、日葡辞書(1603~04)にも、

リギュウ、マダラウシ、

とある(広辞苑)。ただし、「犂牛」については、

まだら牛、

とする説以外に、

耕作用の犂を引く牛、

とする説がある(貝塚茂樹訳注『論語』)。



「犂(犁)」(漢音レイ・リ、呉音リ)の字は、

会意兼形声。「牛+音符利(リ よくきれる)」。牛にひかせ、土を切り開くすき、

とあり(漢字源)、どうやら、

牛に引かせて土を起こす農具、

つまり、

からすき、

の意であるが、そこから、

耕作に使うまだらうし、

をも指す。「犂牛」に二つの意味がある所以であるが、個人的には、こういう背景から見ると、「犂牛」は、本来、

耕作用の犂を引く牛、

の意なのではないか、という気がする。「からすき」というのは、

唐鋤、
犂、

と当て、

柄が曲がっていて刃が広く、牛馬に引かせて田畑を耕すのに用いる、

もので、

牛鍬(うしぐわ)、

ともいい(精選版日本国語大辞典)、

四辺形の枠組をもつこの種の長床犂は、中国から朝鮮半島を経て由来したものと考えられ、わが国古来から用いられた代表的型式の犂である、

とある(農機具の種類)。わが国に伝わったものの原形を指していることになる。


(「からすき」 精選版日本国語大辞典より)

『論語』・雍也篇に、

子謂仲弓曰、犂牛之子、騂且角、雖欲勿用、山川其舍諸(子、仲弓を謂いて曰く、犂牛(りぎゅう)の子も騂(あかく)く且つ角(つの)あらば、用うる勿(な)からんと欲すと雖も、山川それ諸(これ)を舎(す)てんや)、

とある(貝塚茂樹訳注『論語』)。仲弓とは、孔門十哲の一人、

冉雍(ぜんよう)の字(あざな)、

である。仲弓を指して、

犂牛之子、

つまり、

田で鋤を引くまだら牛の仔、

と言ったということは、

仲弓が賤眠の出自である、

ことを象徴している(仝上)。貝塚茂樹訳注には、こうある。

天神などのいけにえにあてるためには、ふだんから政府の牧人が毛並みのいい牛を養っている。これが足りなくなると、一般の耕作につかう牛から毛並みのいい牛を選んでいけにえにする。それと同じように、徳行がすぐれ、人の上に立つ資格を備えた仲弓は、いつかはきっと世間で用いられるにちがいないことをたとえたのである、

と。ここから、

犂牛之子、
犂牛の喩え、

等々とも言われる。



「犂牛」には、

方便品、深着五欲如犂牛愛尾(「長秋詠藻(1178)」)、

と使われている(精選版日本国語大辞典)が、正確には、これは、「犂牛」ではなく、

犛牛(リギュウ)

で、

やく、

を指し、

からうし、
黒牛、

の意ともされ(字源)、「犂牛」とは別物で、

深著於五欲 如犛牛愛尾(法華経・方便品)、

と、

犂牛の麻を愛するが如し、

とも使われる。

牛が役にも立たない自分の尾をいとおしむように、人が無意味な欲望からのがれられないさま、

を言うのに使う(故事ことわざの辞典)。仏教では、

犛牛、

を、

みょうご、

と訓むとある(仝上)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
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ラベル:犂牛
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2022年01月08日

揖譲の礼


車馬門前に立ち連なって、出入(しゅつにゅう)身を側(そば)め、賓客堂上に群集して、揖譲(ゆうじよう)の礼を慎めり(太平記)、

とある、

揖譲、

は、

ゆうじょう(いふじゃう)

と訓むが、

いつじょう(いつじゃう)、

とも訓ませる(字源・大言海)。

揖は、一入(イツニフノ)切にて、音は、イフなり。されど、フは、入聲(ニッシャウ)の韻なれば、他の字の上に熟語となるときは、立(リフ)を立身(リッシン)、立禮(リツレイ)、入(ニフ)を入聲(ニッシャウ)とも云ふなり。六書故「揖、拱手上下左右(シテ)之以相禮也」(楚辞、大招、註「上手延登曰揖、壓手退避曰譲)、

とあり(大言海)、色葉字類抄(1177~81)には、

揖譲、イツジャウ、揖、イフス、

とある。「延登(えんとう)」は、

初めて官に拝するとき、天子がその人を延き入れて、殿に登らしめ、親(みずか)ら詔を下す、

とある(字源)。「退避」は、それとの対で、「引退する」意と思われる(仝上)。

「拱手上下左右」は、

へりくだって敬意を表す、

意と注記がある(兵藤裕己校注『太平記』)が、

手をこまねきて(両手の指を組み合わせて)、或は上下にし、或は左右にする礼法、

とある(仝上)。

論語(八佾篇)に、

子曰、君子無所争、必也射乎、揖譲而升下、而飲、其争也君子(子曰く、君子は争う所無し、必ず射(ゆみい)るときか、揖譲して升(のぼ)り下(くだ)り、而して飲ましむ、その争いや君子なり)、

とある。「升下」とは、

射礼の際、最初、主人が招待にこたえて堂、つまり殿にのぼるのが升であり、次に堂から庭におりて弓を射るのである、

とある(貝塚茂樹訳注『論語』)。

射礼、

は、

弓の競い合いのことである。孔子は、

礼の故事、つまり、作法の心得を解説したものらしい(仝上)。

「揖譲」は、

大古之時、聖人揖譲(「聖徳太子伝暦(917頃)」)

と、

両手を前で組み合わせて礼をし、へりくだること、

であり、

古く中国で客と主人とが会うときの礼式、

で(仝上)、

拱手の礼をなしてへりくだる、

意である(字源)。そこから、意味を広げ、

会釈してゆずる、
謙虚で温和なふるまい、

などにもいう、とある(精選版日本国語大辞典)。


(拱手する孔子像(呉道玄、8世紀頃) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%B1%E6%89%8Bより)

つまり、「こまねく」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484220493.htmlで触れた、

拱く、
拱手、

である。「こまねく」は、現存する中国最古の字書『説文解字(100年頃)』には、

拱、斂手(手をおさむる)也、

礼記・玉藻篇「垂拱」疏には、

沓(かさぬる)手也、身俯則宜手沓而下垂也、

とあり(大言海)、

拱の字の義(両手をそろえて組むこと)に因りて作れる訓語にて、組貫(くみぬ)くの音轉なるべしと云ふ(蹴(く)ゆ、こゆ。圍(かく)む、かこむ。隈床(くまど)、くみど。籠(かたま)、かたみ)、細取(こまどり)と云ふ語も、組取(くみとり)の転なるべく、木舞(こまひ)も、組結(くみゆひ)の約なるべし、

とする(大言海)ように、「こまねく」は、もともと、

子路拱而立(論語)、

と、

両手の指を組み合わせて敬礼する

意であり、

拱手、

と言えば、

遭先生于道、正立拱手(曲禮)、

と、

両手の指を合わせてこまぬく、人を敬う礼、

であり(字源)、

中国で敬礼の一つ。両手を組み合わせて胸元で上下する、

とあり(広辞苑)、

中国、朝鮮、ベトナム、日本の沖縄地方に残る伝統的な礼儀作法で、もとは「揖(ゆう)」とも呼ばれた。まず左右の人差し指、中指、薬指、小指の4本の指をそろえ、一方の掌をもう一方の手の甲にあてたり、手を折りたたむ。手のひらを自身の身体の内側に向け、左右の親指を合わせ、両手を合わせることで敬意を表す。一般的には、男性は左手で右手を包むようにするが、女性は逆の所作となる。葬儀のような凶事の場合は左右が逆になる、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%B1%E6%89%8B

「揖譲」には、「拱手」の意の他に、

禅譲、

の意で、

天子の位を譲ること。特に、その位を子孫であるなしにかかわらず、徳の高い者に譲ること、

の意でも使われる。この逆は、

征誅、

とあり(字源)、

放伐、

ともいう(広辞苑)。

堯の舜に授け、舜の禹に授くる如きは揖譲なり、湯の桀を放ち、武王の紂を伐ち、兵力を以て国を得たる如きは征誅なり、

とある(字源)。



「揖」(ユフ(イフ)、イツ)は、

会意。旁(シュウ)は「口+耳」からなり、口と耳をくっつけるさまを示す。揖はそれと手を合わせた字で、両手を胸の前でくっつけること、

とある(漢字源・字源)。


(「譲」 https://kakijun.jp/page/2010200.htmlより)

「譲(讓)」(漢音ジョウ、呉音ニョウ)は、

会意兼形声。襄(ジョウ)は、中に割り込むの意を含む。讓は「言+音符襄」で、どうぞといって間に割り込ませること。転じて、間に挟んで両脇からせめる意ともなる、

とある(漢字源)、

三タビ天下を以て讓る(論語)、

と、譲る意である。別に、

会意兼形声文字です(言+襄)。「取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「(つつしんで)言う」の意味)と「衣服に土などのおまじない物を入れて邪気を払う象形と手の象形」(「衣服にまじないの品を詰め込んで、邪気を払う」の意味)から、「言葉で悪い点を責める」を意味する「譲」という漢字が成り立ちました。また、たくさんの品を詰め込む事を許すさまから、「ゆずる」の意味も表すようになりました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1680.html

問い責める意を表す。転じて「ゆずる」意に用いる、

とある(角川新字源)ので、原義は、それのようである。


(「譲」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji1680.htmlより)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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ラベル:揖譲の礼 揖譲

2022年01月07日

庶幾


「庶幾(しょき)」は、

云うふに及ばす、尤も庶幾する所なり(太平記)

と、

こい願う、

意で使うが、これは、「庶幾」の、

「庶」「幾」はともにこいねがうの意、

であり(精選版日本国語大辞典)、

庶幾夙夜、以永終誉(詩経)、

と、漢語である(字源)。また、

顔氏之子、其始庶幾乎(易経)、

と、

ちかし、

とも訓ませる(字源)。これは、

「庶」「幾」はともに近いの意、

でもある(精選版日本国語大辞典)。

和語では、ために、

この一様、すなはち定家卿が庶幾する姿なり(「後鳥羽院御口伝(1212~27頃)」)、

と、

しょき、

と訓むだけではなく、

心あらむ人愚老が心を知て、如説行学庶幾(ソキ)する所也(「雑談集(1305)」)、

と、

そき、

とも訛り(精選版日本国語大辞典)、また、

記録と實地を併せ考へ、古今の對照やや眞を得たるに庶幾(ちか)い(桑原隲蔵「大師の入唐」)、

と、

ちかし、

と訓ませたり、

庶幾(こいねが)うところなりとて、すでに、軍、立つを大国に聞き付けて万が一の勢なるが故に軽しめ嘲りて(南方熊楠「十二支考」)、

と、

こいねがう、

と訓ませたりする。因みに、「こいねがう」には、

希う(ふ)、
冀う(ふ)、
庶幾う(ふ)、
乞願う(ふ)、

等々と当てたりする(精選版日本国語大辞典)。ために、「庶幾」の訓み方は、

しょき    41.2%、
ちか(シ)  29.4%、
こいねが(ウ)5.9%、

とあるhttps://furigana.info/w/%E5%BA%B6%E5%B9%BE:%E3%81%A1%E3%81%8B

ところで、漢字では、

庶は、冀(キ こいねがう)也と註す。幾と同義なり。庶幾と連用しても、一字ずつ別ち用ひても同じ。又、庶乎(ショコ)と連用す(庶乎は、近しの意で、庶幾と同義)、
幾は、こひねがはくはとも、ちかしとも訓む、遠きものは及び難き故、望を絶つも、近きは及ぶべし、されば、願辞、又は、近辞と註すれども、意は一なり。孟子「王庶幾無疾病」、
希は、まれといふ字なり、故にまれなることのできるやうに願ふなり、
冀は、欲也、望也と註す。覬(キ のぞむ)と音通ず。伺ひ望む意あり、
尚は、庶幾也と註す。「黎民(レイミン 冠を着けない黒髪の者、つまり庶民)尚亦有利哉」の如し。尚の字、たふとぶといふ義あり、たふとび願ふ意なり、
幸は、非分而得曰幸と註す、幸調護太子の如し、

と、註されている(字源)。


(「庶」 https://kakijun.jp/page/1147200.htmlより)

「庶」(ショ)は、

会意。广の中は、動物の頭(廿印)のあぶらを燃やすさまで、光の字の古文。庶はそれに广(いえ)を添えたもので、家の中で火を集め燃やすこと。さらにまた、諸(これ)と同様に、近称の指示詞にあて「これこそは」と強く指示して、「ぜひこれだけは」の意を表す副詞に転用された、

とある(漢字源)。字源には、象形、指事、会意、形声、会意形声の諸説があるらしいが、

广と廿と火とに従う、广は厨房、廿は鍋など烹炊(ほうすい)に用いる器。その下に火を炊いて器中のものを烹炊し、煮ることを意味する字で、煮の本字である(白川)、

とかhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BA%B6

形声。火と、音符石(セキ)→(シヨ)とから成る。火で煮る意を表す。借りて、「もろもろ」の意に用いる、

とか(角川新字源)、

会意兼形声文字です(广+炗)。「家屋のおおいに相当する屋根」の象形と「器の中の物を火で煮たり沸かしたりする」象形から、屋内をいぶして「害虫を除去する」の意味を表しましたが、借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「おおい(たくさん)」を意味する「庶」という漢字が成り立ちました、

とかhttps://okjiten.jp/kanji1842.html、微妙に分かれるが、「火」と関わらせていることは同じである。


(「庶」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji1842.htmlより)

「幾」(漢音キ、呉音ケ)は、

会意。幺ふたつは、細く幽かな糸を示す。戈は、ほこ。幾は「幺ふたつ(わずか)+戈(ほこ)+人」で、人の首にもうわずかで戈の刃がとどくさまを示す。もう少し、近いなどの意を含む。わずかの幅をともなう意からはしたの数(いくつ)を意味するようになった、

とある(漢字源)。

別に、
会意。𢆶(ゆう かすか)と、戍(じゆ まもり)とから成る。軽微な防備から、あやうい意を表す、

との説(角川新字源)、


(「幾」 https://kakijun.jp/page/1245200.htmlより)

会意文字です。「細かい糸」の象形と「矛(ほこ)の象形と人の象形」(「守る」の意味)から、戦争の際、守備兵が抱く細かな気づかいを意味し、そこから、「かすか」を意味する「幾」という漢字が成り立ちました。また、「近」に通じ(「近」と同じ意味を持つようになって)、「ちかい」、「祈」に通じ、「ねがう」、借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「いくつ」の意味も表すようになりました、

とする説https://okjiten.jp/kanji1288.htmlがあるが、最後の説で、「ねがう」意が出てくる意味が分かる。


(「幾」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji1288.htmlより)

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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ラベル:庶幾
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2022年01月06日

狂骨


「狂骨」は、

きょうこつ、

と訓ませ、

「きょう」は「軽」の呉音、

とあり(精選版 日本国語大辞典)、

軽忽、
軽骨、

とも当て、この場合、

けいこつ、

とも訓み、

然し汝に感服したればとて今直に五重の塔の工事を汝に任するはと、軽忽(かるはずみ)なことを老衲(ろうのう)の独断(ひとりぎめ)で云ふ訳にもならねば、これだけは明瞭(はっきり)とことわつて置きまする(幸田露伴「五重塔」)

と、

かるはずみ、

と訓ませる場合もある。「狂骨」は、

軽忽
軽骨、

を、

きょうこつ、

と呼んだ時の当て字かと思われる。

「軽忽(けいこつ)」は、漢語である。

軽忽簡誣(漢書・孔光伝)、

と、

かろがろしくそそっかしい、

意である(字源)。で、

けいこつ、

と訓ませる、

軽忽、

は、漢語の意に近く、

軽んじ、ゆるがせにすること、

と(大言海)、

そそっかしい、
かるがるしい、

意で、

粗忽、

と同義になる(広辞苑)。しかし、

きょうこつ、

と訓ませ、

軽忽、
軽骨、

などと当てる場合は、漢語と同義で、

事極軽忽、上下側目云々(「小右記永延二年(988)」)、
キョウコツナコトヲイフ(「日葡辞書(1603~04)」)、

などと、

軽率、
そそっかしい、

意でも使うが、

公家の成敗を軽忽し(太平記)、

と、

軽視する、
軽蔑する、

意や、

此の人の体軽骨(キャウコツ)也。墓々敷(はかばかしく)日本の主とならじとて(「源平盛衰記(14C前)」)、

と、

人の様子や人柄が軽はずみで頼りにならないようにみえる、

意で使い、その軽率な状態表現を、

中中不足言ともあまり軽忽なほどに物語ぞ(「三体詩幻雲抄(1527)」)、
此かさたためと有ければ、なふきゃうこつや是程ふるあめにといへば(浄瑠璃「凱陣八島(1685頃)」)、

などと、

他人から見て軽はずみで不注意に見えると思われるような愚かなこと、とんでもないこと、笑止、

と、価値表現へとシフトして使う。さらに、それが過ぎると、

あら軽忽や児わ何を泣給ふぞ(幸若「満仲(室町末~近世初)」)、

と、

気の毒な、

という意にまで広がる(精選版日本国語大辞典)。

狂骨、

は、

若輩の興を勧むる舞にもあらず、また狂骨の言(ことば)を巧みにする戯(たわぶ)れにもあらず(太平記)、

と、

ばかばかしい、

意で使うとき当てたのではあるまいか。また、漢語「軽忽」の「忽」に、

軽骨、
狂骨、

と、「骨」を当てたのは、漢字「骨」に、

気骨、
硬骨漢、

というように、

人柄、
品格、

の意味で使うので、原義に適った当て字ではある。



「狂」(漢音キョウ、呉音ゴウ)は、

会意兼形声。王は二線の間に立つ大きな人を示す会意文字。または、末広がりの大きなおのの形を描いた象形文字。狂は「犬+音符王」で、おおげさにむやみに走り回る犬。ある枠を外れて広がる意を含む、

とある(漢字源)が、

形声。犬と、音符王(ワウ)→(クヰヤウ)とから成る。手に負えないあれ犬の意を表す。転じて「くるう」意に用いる(角川新字源)、

形声文字です(犭(犬)+王)。「耳を立てた犬」の象形と「支配権の象徴として用いられたまさかりの象形」(「王」の意味だが、ここでは、「枉(おう)」に通じ、「曲がる」の意味)から、獣のように精神が曲がる事を意味し、そこから、「くるう」を意味する「狂」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1163.html

などともある。


(「王」甲骨文字・殷① https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%8Bより)


(「王」甲骨文字・殷② https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%8Bより)

この違いは、「王」を示す甲骨文字がかなりの数あって、「王」(オウ)の字の解釈が、

「大+―印(天)+-印(地)」で、手足を広げた人が天と地の間に立つさまをしめす。あるいは、下が大きく広がった、おのの形を描いた象形文字ともいう。もと偉大な人の意、

とある(漢字源)他、諸説あり、中でも、

象形文字。「大」(人が立った様)の上下に線を引いたもの。王権を示す斧/鉞の象形https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%8B

象形文字です。「古代中国で、支配の象徴として用いられたまさかり」の象形から「きみ・おう」を意味する「王」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji189.html

と、「まさかり」「おの」と見る説が目につく。

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(「輕」 成りたち https://okjiten.jp/kanji481.htmlより)

会意兼形声文字です(車+圣(坙)。「車」の象形と「まっすぐ伸びる縦糸の象形」(「まっすぐで力強い」の意味)から、「敵陣にまっすぐ突進していく車」を意味し、それが転じて、「かるい」を意味する「軽」という漢字が成り立ちました、

との説明https://okjiten.jp/kanji481.htmlは、同趣旨乍ら具体的である。



「骨」(漢音コツ、呉音コチ)は、

会意兼形声。月を除いた部分は、冎(カ)や窩(カ)の原字で、上部は大きく穴の開いた関節の受ける方のほね。下部はその穴にはまり込む関節の下のほうのほね。骨はこれに肉(月)を加えたもの、

とある(漢字源)。要は、

会意。冎(カ ほねの形)と、肉(月は省略形)とから成る。肉の付いているほね、ひいて「ほね」、骨節などの意を表す、

ということになる(角川新字源)。


(「骨」 金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AA%A8より)


(「骨」 簡帛文字・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AA%A8より)


(「咼」 簡牘文字・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AA%A8より)

「忽」(カン億コツ、呉音コチ)は、

会意兼形声。勿(ブツ)は、吹き流しがゆらゆらして、はっきり見えないさまを描いた象形文字。忽は「心+音符勿」で、心がそこに存在せず、はっきりしないまま見過ごしていること、

とある(漢字源)が、



形声。心と、音符勿(ブツ)→(コツ)とから成る。ぼんやりする意を表す。「惚(コツ)」の原字。ひいて、「ゆるがせにする」「たちまち」の意に用いる(角川新字源)、

ともある(角川新字源)。さらに、別に、


(「忽」 金文・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BF%BDより)

形声文字です(勿+心)。「弓の弦(つる)をはじいて、払い清める」象形(借りて「禁止。~してはいけない」、「ない」)の意味と「心臓」の象形(「心」の意味)から、「心の中に何もない」事を意味し、そこから、「ゆるがせにする」を意味する「忽」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji2446.html


(「忽」 成りたち https://okjiten.jp/kanji2446.htmlより)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;ジャガード織で上品な風合い。 椅子用座布団 ひも付き セット 椅子用クッション おしゃれ 4枚組
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年01月05日

褊す


「褊(さみ)す」は、

狭す、

とも当てる(精選版日本国語大辞典)。

狭(サ)みすの意(広辞苑)、
狭(サ)ミスの意。相手を狭いものと扱う意(岩波古語辞典)、

とあるが、

サミは形容詞の狭(さ)しの語根を、名詞に形づくれるもの、無(な)しを、無(な)みす(蔑)とするに同じ、孟子・梁惠王「齊國雖褊小」、康熙字典「褊、狭也」(大言海)、
形容詞「さし(狭)」の語幹に接尾語「み」が付き、さらに動詞「す」が付いてできた語(精選版日本国語大辞典)、

というところが妥当なのだろう。


(「褊」 https://kakijun.jp/page/E5ED200.htmlより)

「褊」(ヘン)は、

会意兼形声。「衣+音符扁(うすっぺらな)」、

とあり(漢字源)、

形声文字。「衣」と音符「扁」を合わせた字で、衣服がきつく「せまい」という意味、

であるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A4%8A。同義の漢字は、

「狭」は、廣または闊の反なり、史記「地狭人寡」。心のせまきにも用ふ、
「褊」は、衣服の身はばのせまきなり。転じて、土地また心の狭きにも用ふ。左伝「衛國褊小、老夫耄矣」、
「窄」は、寛の反なり、狭なり、隘なり、天地窄の類、
「隘」は、ものの閒のせまきなり、谷閒などの迫りてけはしく、せまきに云ふ。険隘、峻隘と熟す、転じて心のせまきにも用ふ。狷隘は狷介にして寛容の量なきなり、

と「せまい」の意味を使い分けている(字源)。

きばやし(急)惼(ヘン)に通ず、

とある(仝上)ので、

褊狭(へんきょう)、

と、「土地が狭い」意や「心が狭い」意だけではなく、

褊心(へんしん)、

と、「心が狭く気が短い」意でも使う(仝上)。

「褊(さみ)す」は、漢字の意味から見て、元々は、類聚名義抄(11~12世紀)に、

褊、サミス、さし、せばし、

字鏡(平安後期頃)には、

狭、サミス、

とあり、

三王の陒薜(あいへき)を陿(さみ)す(漢書・楊雄伝)、

と、

狭い、
狭いと思う、

という状態表現でしかなかったものが、

帰伏申したる由にてかへって武家をは褊しけり(太平記)、
所存之企、似褊関東(吾妻鏡)、

などと、

我を廣しとし、他を狭しとするより、第二義の、他を非とし軽侮する意、

となり(大言海)、色葉字類抄(1177~81)では、

褊、サミス、謗也、狭、

と、

見下げる、
卑しめる、
軽んずる、
あなどる

などといった意に転ずる(大言海・岩波古語辞典)

こうした意味の変化はあり得るのだから、

アサミス(浅)の上略(言元梯)、
アサミスル(浅見)の略(菊池俗語考)、

の説は取りがたい。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2022年01月04日


「砌(みぎり)」は、

落城の砌、

というように、

時、
折、

の意で使うことが多いが、

露置く千般(ちくさ)の草、風に馴るる砌の松のみ、昔も問ふかと物さびたり(宿直草)、

と、

庭、

の意で使ったりする。本来は、古くは、

九月(ながつき)のしぐれの秋は大殿のみぎりしみみに露負ひてなびける萩を玉だすきかけてしのはしみ雪降る(万葉集)、
大(おほ)みぎりの石を伝ひて、雪に跡をつけず(徒然草)

などと、

軒下・階下などの雨滴を受けるための石や敷瓦を強いた所、

を指し、その語源は、

水(ミ)限(ぎり)の意(広辞苑・岩波古語辞典・名言通・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子・日本古語大辞典=松岡静雄)、
水キリの儀、キリは走り流れる意(筆の御霊)、
水を切る意(国語の語根とその分類=大島正健)、

等々とされる(日本語源大辞典)。しかし、

水(ミ)限(ぎり)の意、

とすると、本来は、

見砌中円月、知普賢之鏡智(みぎりの中の円月を見て普賢の鏡智を知りぬ)(四至啓白文「性霊集(1079)」)、

と、

水際、

の意ではないか、という気もする。

敷石、

の意から、

紫の庭、玉の台、ちとせ久しかるべきみぎりとみがきおき給ひ(千載和歌集・序)、
みぎりをめぐる山川もこれ(葬礼)を悲しみて雨となり雲となるかと怪しまる(太平記)、

と、上述の、

庭や殿舎の境界、

ひいては、

庭、

の意に広がるのはあり得る。それが、

巖の腰を廻り経て、麓の砌に至りぬ(今昔物語)、

と、

(その)場所、
(その)場面、

の意となり、さらに、

在世説法の砌に臨みたるが如く(十訓集)

なると、

あることの行われる、または存在する時、

の含意となり、

この御政道正しい砌に、私な事はなりまらすまい(虎明本狂言・雁盗人)、

と、

あることの行なわれる、
または存在する時、

の意となり、

(その)とき、
(その)おり、
(その)時節、

の意に絞られていく。この意味の転換は、ある程度見えることかもしれない。ただ、この意味での、

みぎり、

についてのみ、

限(みぎり)の意にて、ミは発語か、砌は借字(大言海・国語の語根とその分類=大島正健)、
そのころの意を其の左右(ゆんでめで)というところからミギリ(右)の意か(志不可起)、

と、別語源とする説もある。如何なものだろうか。確かに、

敷石、

とき、

では差がありすぎるが、

敷石→庭→(その)場所→(その)時、

と、意味の変遷をたどると、無理がない気がするのだが。



いずれにしろ、

みぎり、

に当てた、「砌」(漢音セイ、呉音セイ)は、

会意兼形声。「石+音符切(切って揃える)」、

とあり(漢字源)、

瓦や石の端を切りそろえて重ねた階段、

の意である。さらに、

石の端を切りそろえて積み上げる、

の意として使う。中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)には、

階の甃(いしだたみ)なり、

とあり、

階の下の敷石を敷いたところのこと、

のようであるhttps://dic.nicovideo.jp/a/%E7%A0%8C

苔砌、
甃砌、

等々とあるので、

敷石、

の用例が、「砌」の原意としては近いことになる(字源)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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ラベル: 砌(みぎり)
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2022年01月03日

深見草


「深見草」(ふかみぐさ)は、

ぼたん(牡丹)の異名、

とされ、

たそかれ時の夕顔の花、観るに思ひの深見草、色々様々の花どもを(太平記)、
鉄炮取り直し、真正中(まっただなか)を撃つに、右の手に是を取り、深見草の唇に爾乎(にこ)と笑めるありさま、なを凄くぞ有りける(宿直草)、

等々と使われる。確かに、和名類聚抄(平安中期)に、

牡丹、布加美久佐、

本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)に、

牡丹、和名布加美久佐、一名、也末多加知波奈(やまたちばな)、

などとある。しかし、箋注和名抄(江戸後期)は、

この「牡丹」はもともとの「本草」では「藪立花」「藪柑子」のことで、観賞用の牡丹とは別物であるのに、「和名抄」が誤って花に挙げたために、以後すべて「ふかみぐさ」は観賞用の牡丹として歌に詠まれるようになった、

とする(精選版日本国語大辞典)。確かに、「深見草」は、

植物「やぶこうじ(藪柑子)」の異名、

でもある。しかし出雲風土記(733年)意宇郡に、

諸山野所在草木、……牡丹(ふかみくさ)、

と訓じている(大言海)ので、確かなことはわからないが、色葉字類抄(1177~81)は、

牡丹、ボタン、

とある。しかし、

牡丹、

より、

深見草、

の方が、和風のニュアンスがあうのだろうか、和歌では、

人知れず思ふ心は深見草花咲きてこそ色に出でけれ(千載集)、
きみをわがおもふこころのふかみくさ花のさかりにくる人もなし(帥大納言集)、

などと、

「思ふ心」や「なげき」が「深まる」意を掛け、また「籬(まがき)」や「庭」とともに詠まれることが多い、

とある(精選版日本国語大辞典・大言海)。



「ヤブコウジ」は、

藪柑子、

と当て、

アカダマノキ、
ヤブタチバナ、
ヤマタチバナ、
シシクハズ、
深見草、

と呼ばれ、漢名は、

紫金牛、

とある(広辞苑)。別名、

十両、

で、

万両(マンリョウ)、
百両(ヒャクリョウ)、

とともに、サクラソウ科の常緑低木である(千両(センリョウ)はセンリョウ科)。



「牡丹」は、別名、

山橘、
富貴草、
富貴花、
百花王、
花王、
花神、
花中の王、
百花の王、
天香国色、
名取草、
深見草、
二十日草(廿日草)、
忘れ草、
鎧草、
木芍薬、
ぼうたん、
ぼうたんぐさ、

等々、様々に呼ばれる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%BF%E3%83%B3_(%E6%A4%8D%E7%89%A9・広辞苑)。

「牡丹」の項で、大言海は、まず、

本草に云へるは、古名、ヤマタチバナ、フカミグサ。即ち今のヤブコウジ。関西にヤブタチバナ、この草、深く林叢中に生じ、葉、実、冬を凌ぐ。故に深見草、山橘の名あり。…木芍薬(牡丹の意)を深見草と云ふは誤れり、

と記し、それと項を改めて、別に、

高さ二三尺、春葉を生じ、夏の初、花を開く、花の径、六七寸に至る、重辨、単辨、紅、白、紫等、形、色、種類、甚だ多し、人家に培養して、花を賞す。花中の最も艷なるものなれば、花王の称あり。……音便に延べて、ボウタン。叉、ハツカグサ。ナトリグサ。富貴草。富貴花。木芍薬、

と書く見識を示す。

箋注和名抄には、

亦名百両金、

というともある(大言海)。

露台に植ゑられたりけるぼうたんの、唐めきをかしき事など宣ふ(枕草子)、

と、

長音化、

した言い方もした(広辞苑)。

安時代に宮廷や寺院で観賞用に栽培され、菊や葵(あおい)につぐ権威ある紋章として多く使われた。江戸時代には栽培が普及し、元禄時代(1688~1704)に出版された《花壇地錦抄》には339品種が記録されている、

とある(世界大百科事典)。



牡丹、

は、漢名。

牡丹自漢以前、無有称賞、僅謝康楽集中、有竹閒水際多牡丹之語、此是花王第一知己也(五雜俎)、

とあり、

花王、

も漢名と知れる(字源)。併せ、

洛陽花、
木芍薬、

も同じとある(仝上)。「牡丹」の由来は、漢語なのだが、

ギリシャ語Botānēを、古代中国で音訳したもの(国語に於ける漢語の研究=山田孝雄)、

とする説しか載らない(日本語源大辞典)。しかし、原産地は、

中国西北部、

とされるhttps://www.yuushien.com/botan-flower/。ギリシャ語由来というのは妙である。おそらく音から訳したのには違いない。箋注和名抄に、

出漢剣南、土人謂之牡丹、

とある。「剣南」は、

唐の時代、郡をやめ州とし、その上に道、その下に県を設けた。初めは十道(河北道、河南道、関内道、隴右道、淮南道、河南道、山南道、江南道、剣南道、嶺南道)、玄宗の時代には十五道とした、

とされる「剣南道」を指すと思われる。場所は、蜀を含む四川省北西部と推測される。この記述が正しければ、現地で、「ボタン」と呼んでいたものを当て字したことになる。


(牡丹栽培は元禄時代から盛んになり、幕末期、高津西坂下の植木屋百花園松井吉助の「吉助の牡丹」は名所に数えられた https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%BF%E3%83%B3_%28%E6%A4%8D%E7%89%A9%29より)

「牡」(慣用ボ、漢音ボウ、呉音」・モ)は、

会意。牡の旁は、土に誤ってきたが、もとは士であった。士は男性の性器のたったさま。のち、男・オスを意味するようになった。牡(ボウ)は「牛+士(おす)」で、おすがめすの陰門をおかすことに着目したことば、

とある(漢字源)。



会意文字です(牜(牛)+土)む。「角のある牛」の象形と「おすの性器」の象形から「牛のおす」の意味を表し、そこから「おす」を意味する「牡」という漢字が成り立ちました、

との説明も同じ意味になるhttps://okjiten.jp/kanji2583.html


(「牡」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji2583.htmlより)

「丹」(タン)は、

会意。土中に掘った井型の枠の中から、赤い丹砂が現れるさまを示すもので、赤いものが現れ出ることを表す。旃(セン 赤い旗)の音符となる、

とある(漢字源)。


(「丹」 https://kakijun.jp/page/0405200.htmlより)

会意。「井」+「丶」、木枠で囲んだ穴(丹井)から赤い丹砂が掘り出される様、

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%B9

象形。採掘坑からほりだされた丹砂(朱色の鉱物)の形にかたどる。丹砂、ひいて、あかい色や顔料の意を表す、

も(角川新字源)、

象形文字です。「丹砂(水銀と硫黄が化合した赤色の鉱石)を採掘する井戸」の象形から、「丹砂」、「赤色の土」、「濃い赤色」を意味する「丹」という漢字が成り立ちました。

https://okjiten.jp/kanji1213.html、解釈は同じだか、象形と見るか会意文字と見るかが異なる。


(「丹」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%B9より)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2022年01月02日

夜光の璧


「夜光」とは、

暗いところで、光を出すこと、

の意だが、

「夜光の璧(やこうのたま)」とは、

夜光る玉、

で、

昔、中国で、随侯の祝元陽が蛇から授かったと伝えられる暗夜でも光るという貴重な璧、

の意である。

今可取捨之由忝有此命、夜光之璧何如琢磨乎(「明衡往来(11世紀中頃)」)、

とある(精選版日本国語大辞典)。また、

南海有珠、即鯨目、夜可以鑒、謂之夜光珠(「述異記(5世紀末)」)、

ともあ(字源)、史記・鄒陽(すうよう)伝に、

故無因至前、雖出隋侯之珠、夜光璧、猶結怨而不見徳、

ともある(大言海)。この「夜光璧」と対比されるのが、

和氏璧(かしのたま)、

である。「和氏」とは、

卞和(べんか)、

の謂いで、「卞和」は、

春秋時代の楚のひと、玉璞を得て、楚の厲王(れいおう)に獻ぜしに、王以て詐と為し、其の左足を刖(あしき)る、武王の時、また獻せしに、又以て詐と為し、其の右足を刖る、文王位に即くに及び、王玉人をして之を琢かしめたるに果たして寶玉を得たりと云ふ、

とある(字源・広辞苑)。「璞」(漢音ハク、呉音ホク、慣用ボク)は、

会意兼形声。菐(ボク)は、荒削りのままの意を含む、

とあり、「璞」は、

あらたま、

と訓み、

未だ磨かれていない玉、

の意である(漢字源)。この璧を、名付けて、

和氏の璧、

といった、という。韓非子に載る逸話である。さらにこの名玉は、

秦の昭王十五城を以て之に代へんことを(趙・惠王に)請へり、故に云ふ、

連城璧(れんじょうのたま)、

とある(字源)。楊炯は、

趙氏連城璧、由来天下傳、送君還舊府、明月滿前川

と詠い(夜送趙縦詩)、

惠王之珠、光能照乗、和氏之璧、価値連城、

とある(成語考)


(前漢時代の楚王墓から出土した璧 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%92%A7より)

ただ、秦の昭王は、十五城を渡さず、危うくただ取りされるところを、趙の使者・藺相如が智謀と勇気によって取り返した、

とされる(故事ことわざの辞典)。

日本では、

夜光璧、

和氏璧、

とが混同され、たとえば、

(和氏璧を)磨かせらるるに、その光天地に映徹して、双びなき玉になりにけり。これを行路に懸けたるに、車十七両を照らしければ、照車の玉(ぎょく)とも名づけ、これを宮殿に懸くるに、夜十二街(がい)を燿(かがや)かせば、夜光の璧(へき)とも名づけたり(太平記)、

と、両者が同一視されている。「照車の玉」は、

「車の前後各十二乗を照らす」(田敬仲完世家)とある珠。卞和の玉とは別のものだが、わが国では早くから同一視された(奥義抄他)、

とある(兵藤裕己校注『太平記』)。藺相如の智謀については、『太平記』に、秦王に面会し、

藺相如、畏まって申しけるは、先年、君王に献ぜし夜光の玉、隠れたる瑕の少し候ふを、かくとも知らせまゐらせで進じ置き候ひし事、第一の落度にて候。凡そ玉の瑕を知らで置きぬれば、つひに主(ぬし)の宝とならぬ事にて候ふ間、趙王、臣をしてこの玉の瑕を君に知らせまゐらせんために、参じて候ふなりと申しければ、秦王、悦びてかの玉を取り出し、玉盤の上に居(す)ゑて、藺相如が前に置かれたり。藺相如、この玉を取って楼閣の柱に押し当てて、劔を抜いて申しけるは、それ君子は言約(げんやく)の堅きこと、金石の如し。そもそも趙王、心飽きたらずと云へども、秦王、強いて十五の城を以てこの玉に替へ給ひき。しかるに、十五の城をも出だされず、また玉をも返し給はらず。これ盗跖が悪にも過ぎ、文成が偽りにも越えたり。この玉、全く瑕あるにあらず、ただ臣が命を玉とともに砕きて、君主の座に血を淋(そそ)かんと思ふゆえに、参じて候ふなりと怒(いか)って、珪(たま)と秦王とをはたと睨み、近づく人あらば、忽ちに玉を切り破(わ)りて、返す刀に腹を切らんと、誠に思ひ切ったる眼差事柄、あへて遮り止むべき様もなかりけり。秦王呆れて言(ことば)なく、群臣恐れて近づかざれば、藺相如、つひに連城の玉を奪ひ取って、趙の国へぞ帰りにける、

とある。事実https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%BA%E7%9B%B8%E5%A6%82とは異なるが、日本では「夜光の玉」と混同していることもよくわかる。藺相如と廉頗(れんぱ)との関係が、

刎頸の交わり、

であるhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/468609632.html。また、

完璧、

も、藺相如のこの逸話から生れた、とされる。史記・廉頗・藺相如伝に、

相如曰、願奉璧往、使城入趙、而璧畱(留)秦、城不入、臣請完璧歸趙、

とあり、「完璧」は、

玉をまっとうす、

の意で、

人の物を返す、

に言う(字源)、あるいは、

(藺相如の故事から)大事なことをやり遂げること、
大切なものを取り返すこと、

とある(故事ことわざの辞典)。ただ、わが国では、

きずのない玉、

の意と取り、

欠点がなく、すぐれてよいこと、完全無欠、

の意で使う(広辞苑)



「璧」(漢音ヘキ、呉音ヒャク)は、

会意兼形声。「玉+音符辟(ヘキ、 平ら、薄い)」、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(辟+玉)。「うずくまる人の象形と針で切りつけた傷の象形と入れ墨をする為の針の象形」(刑罰権を持つ「きみ・君主」の意味)と「3つの玉を縦ひもで貫き通した象形」(「玉」の意味)から、「(きみの持つ)玉」、「玉のように美しい物、立派な物の例え」を意味する「璧」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji2200.html


(「璧」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji2200.htmlより)

参考文献;
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2022年01月01日

大和説成り立たず


関川尚功『考古学から見た邪馬台国大和説―畿内ではありえぬ邪馬台国』を読む。



本書は、「はじめに」で、

大和は、四周を山に囲まれた適当な広さの盆地、まとまりのある平穏な地域であるといつも感じている。このような感覚からすると、『魏志』に描かれているような、中国王朝と頻繁に通交を行い、また狗奴国との抗争もあるという外に開かれた活発な動きのある邪馬台国のような古代国家が、この奈良盆地の中に存在するという説については、どうにも実感がないものであった。特に、それが証明できるような遺物も、見当たらなかった。
このような経験からみると、これまで邪馬台国大和説というものは、実際の大和や古墳が示す実態とはかなり離れたところで論議が行われているような印象を受ける。

と書き、その疑問を、

これまでわかっている大和の遺跡・古墳の実態を見ていくことで、この地域の持つ特質というものを考えていきたいと思う。それが多くの解釈や理屈よりも、おのずと大和説の可否を示すものと思われる。

と述べる。

橿原考古学研究所の所員として纒向遺跡の発掘調査に携わり、石野博信とともに報告書『纒向』を著した著者による、考古学からみて、

邪馬臺国を大和に比定する説、

が成り立つのかを、検証したところに重みがある。

若井敏明『謎の九州王権』http://ppnetwork.seesaa.net/article/481472191.html

でも触れたことだが、文献上から見ても、

畿内説、

はあり得ないと思っている。ヤマトの王権に続く大和朝廷は、

邪馬臺国、
も、
卑弥呼、

も承知しておらず、中国の史書によってはじめて知った気配である。畿内に邪馬臺国があったとしたら、それはおかしい。村井康彦『出雲と大和』http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163142.htmlでも触れたように、

『魏志倭人伝』で知られた倭の女王卑弥呼の名が、『古事記』にも『日本書紀』にも全く出てこないこと、

しかも、『日本書紀』の著者たちは、中国の史書で卑弥呼の内容も存在も知っていながら、にもかかわらず名を出さなかった、

等々から、卑弥呼が大和朝廷とは無縁の存在である。従って、邪馬台国は大和朝廷とはつながらないのだと思う。

本書では、それを考古学上の遺跡を通して、検証して見せる。

考古学の持つ有効性、

については、大正時代、高橋健自が、その所在地は、当時の政治・文化的な中心地であり、

その文化には支那文化の影響が相応にあったことを徴するに足る地方、

であることと、

後漢乃至魏初の影響を最著しく受けた文化を徴すべき考古学的史料、

が多く認められるかどうか、と述べたことは、今も有効であるとし、著者は、

邪馬台国の位置問題について有効と思われる、二つの方向から考えてみたい、

とし、第一は、

この時期の大和地域の遺跡や墳墓の実態というものが、はたして邪馬台国の所在地として、ふさわしい内容をもっているのかということである。それには大和の主要な弥生時代の遺跡と、庄内式から古墳初めの布留式に中心を置く纏向遺跡の実態を、邪馬台国とそれを取り巻く状況と比較することである。

第二には、

大和には箸墓古墳のような初期の大型前方後円墳が集中するが、これらの古墳と邪馬台国は年代的にどのような関係にあるのか、ということである。

と、問題への斬り込みの視点を置いている。

そして、大和の纏向遺跡、弥生遺跡から見ると、

特に顕著なことは、遺跡内容には直接的な対外交流の痕跡というものが、決定的に欠けているということである。それは北部九州の遺跡と比較するまでもなく、『魏志』にみえる邪馬台国の交流実態とは、およそかけ離れたものであるといえよう、

とし、

3世紀頃の奈良盆地において、北部九州の諸国を統属し、魏王朝と頻繁な交流を行ったという邪馬台国の存在を想定することはできない、

と結論づけている。そして、箸墓古墳をめぐっては、「箸墓」は、日本書紀にも登場し、

倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓、

と記されているのに、『魏志』の記述につながる記載は、神功皇后紀に、『魏志』が引用されるだけで、卑弥呼の名はない。このギャップは、上述のように、ヤマト王権が邪馬臺国も卑弥呼も『魏志』を通してしか知らなかったことを暗示している。そして、箸墓古墳は、

初期の大型古墳グループの中では、他の古墳と大きな時間差は認めがたい、

つまり、

箸墓は最古で最大の大型前方後円墳であっても、他の同時期の大型古墳より突出して古いということではない、

のであり、箸墓古墳は、

4世紀の中で考えるのが適切であり、3世紀まで遡ることは考えられない、

と結論している。それは、箸墓古墳が、他の百舌鳥・古市古墳群と同様に、その被葬者は、

中国史書に倭国王として登場する人物と同じ系列の古墳につながる、大和政権にかかわりがある人物であるとしか言いようがない、

のである、と。そして、「おわりに」で、

大和の状況、特に纏向遺跡と箸墓古墳の内容がある程度分かってきた以上、もはや決着がついたのではないか、というのが間近に見てきた著者の立場である。
また、『魏志』は中国正史であるため、位置問題についても、これまで特に東洋史家を中心とした解釈と大局的な観点により、文献上からは、ほぼ九州説が大勢であるといえるのが主な邪馬台国論考を通鑑してみた感想である。
一貫して大和説を唱えた小林行雄も、「……『倭人伝』に記された内容には、一字一句の疑いをもたないという立場をとれば、邪馬台国の所在地としては、当然九州説をとるほかないのである」と述べているとおりなのである(小林行雄『古墳時代の研究』)。
結論は考古学の視点からみても同じ結論になったものと思っている。考古学であれば、明確な事実をそのまま解釈するのが通例だが、大和説においては「伝世鏡論」などのように、そこに改変なり理屈を加えないと成り立たないため、大勢を変えるまでには至らないという印象である。

と締めくくっている。

参考文献;
関川尚功『考古学から見た邪馬台国大和説―畿内ではありえぬ邪馬台国』(梓書院)

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2021年12月31日

野干


「野干(やかん)」は、

射干、

とも当て(広辞苑)、日本では、

女、……成野干……随夫語而來寐、故名為也(霊異記)、

とあるように、狐の正体がばれたときに夫から、

「来つ寝」(きつね)、

と言われたため、

岐都禰(キツネ)、

という名になったとする説話があり、

汝、前世に野干の身を受けて(今昔物語)

などと、

狐の異称、

とされ、和名類聚抄(平安中期)に、

狐、木豆禰、獣名、射干……、野干、

とある。ただ、中国では、史記・司馬相如伝、子虚賦「射干」註に、

漢書音義曰、射干似狐能縁木、

とあり(大言海)、

狐に似て小さく、能く木に登り、色、靑黄色にして、尾、大なり。狗の如く、羣行し、夜鳴き、聲、狼の如しと云ふ、

野獣の名とされる(広辞苑・大言海)。元々、

漢訳仏典に登場する野獣、

で、

射干(じゃかん、しゃかん、やかん)、
豻(がん、かん)、
野犴(やかん 犴は野生の犬のような類の動物、キツネやジャッカルなども宛てられる)、

とも表記され、狡猾な獣として描かれるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%B9%B2とあり、日本の密教においては、

閻魔天の眷属の女鬼・荼枳尼(だきに)が野干の化身、

とされ、平安時代以後、

野干=狐にまたがる姿の荼枳尼天、

となる(仝上)、ともある。

唐の『本草拾遺』に、

仏経に野干あり。これは悪獣にして、青黄色で狗(いぬ)に似て、人を食らい、よく木に登る、

宋の『翻訳名義集』に、

狐に似て、より形は小さく、群行・夜鳴すること狼の如し、

明末の『正字通』に、

豻、胡犬なり。狐に似て黒く、よく虎豹を食らい、猟人これを恐れる、

等々とある(仝上)。中国には生息していなかったため、

狐、貂(てん)、豺(ドール)、

との混同がみられるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%B9%B2ようだ。

元来は、梵語の

シュリガーラ(śṛgāla)、

を漢訳する際に、

野干、

と表記されたもので、他に、

悉伽羅、
射干、
夜干、

とも音訳された(仝上)、とある。明治43年(1910)、南方熊楠が、

漢訳仏典の野干は梵語「スルガーラ」(英語「ジャッカル」・アラビア語「シャガール」)の音写である、

旨を、『東京人類学雑誌』に発表した(仝上)。熊楠は、こう書いている。

わが邦で従来野干を狐の事と心得た人が多いが、予が『東京人類学会雑誌』に述べたごとく全く狐と別で英語でいわゆるジャッカルを指す、梵名スリガーラまたジャムブカ、アラブ名シャガール、ヘブライ名シュアルこれらより転訛して射干また野干と音訳されただろう(十二支考)、

そして、既に、

『松屋筆記』に「『曾我物語』など狐を野干とする事多し、されど狐より小さきものの由『法華経疏』に見ゆ、字も野豻と書くべきを省きて野干と書けるなり云々、『大和本草』国俗狐を射干とす、『本草』狐の別名この称なし、しかれば二物異なるなり」といい、『和漢三才図会』にも〈『和名抄』に狐は木豆弥射干なり、関中呼んで野干と為す語は訛なり、けだし野干は別獣なり〉と記す、豻の音岸また忓、『礼記』玉藻篇に君子々々虎豹蛟竜銅鉄を食う猟人またこれを畏るとある、インドにドールとて群を成して虎を困(くる)しむる野犬あり縞狼(ヒエナ)の歯は甚だ硬いと聞く、それらをジャッカル稀に角ある事実と混じてかかる談が生じただろう、西北インドの俗信にジャッカル額に角あるはその力で隠形の術を行うこれを截り取りてその上の毛を剃って置くとまた生えると(1883年『パンジャブ・ノーツ・エンド・キーリス』)。(中略)とにかく周の頃すでに豻てふ野犬が支那にあったところへジャッカル稀に一角ある事などをインド等より伝え、名も似て居るのでジャッカルを射豻また野干と訳したらしい(仝上)、

と(仝上)。「豻」(カン・ガン)は、

胡地(中国の北方)の野狗。又狐に似て喙の黒き野犬、

とある(字源)。


(南方熊楠 『十二支考』にある「ジャッカル(野干)」の画 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%B9%B2より)

そしてジャッカルについて、

この野干は狼と狐の間にあるようなもので、性質すこぶる黠(ずる)く常に群を成し小獣を榛(シン やぶ)中に取り囲み逃路に番兵を配りその王叫び指揮して一同榛に入り駆け出し伏兵に捕えしむ、また獲物ある時これを藪中に匿しさもなき体で藪外を巡り己より強きもの来らざるを確かめて後初めて食う、もし人来るを見れば椰子殻などを銜えて疾走し去る、人これを見て野干既に獲物を将(も)ち去ったと惟い退いた後、ゆっくり隠し置いた物を取り出し食うなど狡智百出す、故に仏教またアラビア譚等多くその詐(いつわり)多きを述べ、『聖書』に狐の奸猾を言えるも実は野干だろうと言う、したがって支那日本に行わるる狐の譚中には野干の伝説を多分雑え入れた事と想う、

とも(仝上)。



「野(埜)」(漢音呉音ヤ、漢音ショ、呉音ジョ)は、

会意兼形声。予(ヨ)は、□印の物を横に引きずらしたさまを示し、のびる意を含む。野は「里+音符予」で、横にのびた広い田畑、野原のこと、

とある(漢字源)。



ただ、

会意形声。「里」+音符「予」(だんだん広がるの意を有する)https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%87%8E

と、

形声。里と、音符予(ヨ)→(ヤ)とから成る。郊外の村里、のはらの意を表す(角川新字源)、

とを合わせてやっとわかる解説のように思える。別に、「野」と「埜」を区別し、「野」は、

会意兼形声文字です(里+予)。「区画された耕地の象形と土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(耕地・土地の神を祭る為の場所のある「里」の意味)と機織りの横糸を自由に走らせ通す道具の象形(「のびやか」の意味)から広くてのびやか里を意味し、そこから、「郊外」、「の」を意味する「野」という漢字が成り立ちました、

とし、「埜」は、

会意文字です(林+土)。「大地を覆う木」の象形と「土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(「土」の意味)から「の」を意味する「埜」という漢字が成り立ちました、

と解釈するものがあるhttps://okjiten.jp/kanji115.html


(「野(埜)」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji115.htmlより)

「干」(カン)は、

象形。二股の棒をえがいたもの。これで人を突く武器にも、身を守る武具にも用いる。また突き進むのはおかすことであり、身を守るのは盾である。干は、幹(太い棒、みき)、竿(カン 竹の棒)、杆(カン てこ)、桿(カン 木の棒)の原字。乾(ほす、かわく)に当てるのは、仮借である、

とある(漢字源)。別に、


(「干」 https://kakijun.jp/page/0331200.htmlより)

象形。二股に分かれた棒で、攻撃にも防御にも用いる。干を持って突き進みおかす。「幹」「竿」「杆」「桿」の原字。「幹」の意から、「十干」や「肝」の意を生じた。「乾」の意は仮借であり、「旱」「旰」は、それを受けた形声文字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B9%B2

象形。先にかざりを付けた盾(たて)の形にかたどる。ひいて、「ふせぐ」「おかす」意を表す(角川新字源)、

などの解釈もある。


(「干」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B9%B2より)

「狐」http://ppnetwork.seesaa.net/article/433049053.htmlについては、
「狐と狸」http://ppnetwork.seesaa.net/article/469977053.html
「狐の嫁入り」http://ppnetwork.seesaa.net/article/469952031.html
でも触れた。

参考文献;
南方熊楠『南方熊楠作品集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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ラベル:野干 射干 キツネ
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2021年12月30日

向かひ城


脇屋左京太夫(さきょうのだいぶ)義助(よしすけ 新田義貞弟)の兵五千騎、志賀の炎魔堂の辺りにありける敵の向かひ城、五百余ヶ所に火を懸けて(太平記)、

とある、「向かひ城(むかいじろ)」は、

向ひ城、
向城、
対城、

などとも表記するが、

対(たいの)城、

ともいい、戦国期には、多く、

三木城へ取懸けるが名城なるにより一旦に攻上るに事難かるべしとて、四方に附城を丈夫に拵へ秀吉卿に御渡有て、八月十六日には信忠卿惣人数卒して打納給ふ(信長記)、

と、

付城(つけじろ、つけしろ)、

とも呼び、

城攻めのとき、敵の城に相対して築く城、

の意である(兵藤裕己校注『太平記』)。

三木城攻めでは、40以上の付城を築き、三木城南側には付城と付城の間に土塁を設けて、三木城を包囲して兵糧攻めにし、

(毛利の将)西国の住人生石(おいし)中務大輔(なかつかさたいふ)、平島一介、幷(ならび)に紀州(雑賀)の住人土橋平丞、渡辺藤左衛門尉、魁(さきがけ)となり、数万騎案内者を乞い、裡(うら)の手を廻り、大村坂を越え、未明に堀柵(ほりさく)を切り崩し、嶮難を凌ぐところに、三木の士卒懸け合わせ、先づ、兵粮を入れず、谷大膳亮(衛好)が付城(つけじろ)に攻め上り、数剋防戦、火花を散らし、既に外構へに乗り入れ、終に大膳を討つ。秀吉、早々に懸着(かけつ)けらるべきところに、敵一手に働くべきにあらず。北方の襲(おそい)にて南方の行(てだて)あらんと、少し見合はせらるヽ間に、此(かく)の如き註進(ちゅうしん)あり。風に随ふ旗先は敵陣に差し向かい、一刻に懸け渡し、声を同じうして懸かりたり、敵も名ある侍にて、左右(そう)なく太刀場を取られずと、二、三度鑓を合はすと雖も、精兵に突き立てられ、潴(たま)らずして敗北す。然れども、外構へを乗つ取る輩(ともがら)二、三百、出張(でばり)を打ちて支えたり。秀吉、軍兵を二手に分けて、一方は、城を乗つ取るの返りを攻め、片時が間に討ち果たす。又一方の軍兵、麓に至りて追つて行く。其こにて取つて引き返し、鑓前(やりさき)に死する者五、六百。其の中の別所甚太夫、同三太夫、同左近将監、光枝(みつえだ)小太郎、同道夕、櫛橋弥五三、高橋平左衛門、三宅与兵次、小野権左衛門、砥堀(とぼり)孫太夫、以上大将分、此の外、藝州、紀州の諸侍七、八百、首塚を積み上げ置かれたり(播磨別所記)、

と、別所側は兵糧を入れるのに失敗し、

三木の干殺し、

と呼ばれ、数千人の餓死者を出した、といわれる。



「向かふ」は、

向キ合フの約。互いに正面に向き合う意。相手を目ざして正面から進んでいく意、

とある(岩波古語辞典)。「付く」は、

二つ以上のものがぴたりと一つになって離れず、一体化する意。類義語ヨル(寄)は近づく動きそのものに主点を置いていうに対して、ツクは一体化する結果に観念の濃い用法が多い、

とある(仝上)。攻城の、向かい側という意識よりは、より近くという含意になるが、対抗する意よりは、包囲を主眼にすることによって、付城という言い方になったのかもしれない。

付城、

は、

陣城(じんしろ・じんじろ)、

と重なる。「陣城」は、

戦場で、臨時の城を造ること、

だが、

敵城に対して城攻めのために陣城を築く、

と、

付城、

になる(西ヶ谷恭弘『城郭』)。また、

城中より多勢を出してもたやすく曳とりかたし、また寄手よりも多勢をもってせめかかるべき地形ならず。先仕よりをつけ、埋め草をもつて城を一重づつ取るべきとの議定也(信長記)、

とある、

仕寄(しより)、

は、

攻撃する時に、敵に身体を晒して被害が出ぬように濠を掘り、あるいは前線における横の通路としたり、また濠から弓矢や鉄炮で攻撃し、敵の騎馬隊の突撃を防ぐための装置のこと、

とあり(笹間良彦『図説 日本戦陣作法事典』)、濠だけではなく、

竹束・盾・井楼(櫓)を組み、柵を結ぶなどして敵城に接近する法、

を指し、

竹などを大きな束にしたもの、

の意で用いることもある(精選版日本国語大辞典)。この敵城への攻め口をも、

仕寄、

と言い、

寄口(よせぐち)、

とも言い、

濠を掘ったり、矢弾よけの盾・竹束を並べたり、……井楼をつめて攻城の態勢にすることを、

仕寄を付ける、

という(笹間良彦『武家戦陣資料事典』)。つまり、城攻めの第一段階が、

付城を築く、

ことで、第二段階は、城に接近する行動である、

仕寄(しよ)る、

ための構築物を、

仕寄(しより)、

「仕寄」を城の近くに接近させることを、

仕寄を付ける、

といった(世界大百科事典)。


(「向」 https://kakijun.jp/page/0647200.htmlより)

「背向(そがい)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/482178677.htmlで触れたように、「向」(漢音コウ、呉音キョウ)は、

会意。「宀(屋根)+口(あな)」で、家屋の北壁にあけた通気口を示す。通風窓から空気が出ていくように、気体や物がある方向に進行すること、

とある(漢字源)。別に、

会意。「宀」(屋根)+「口」(窓 又は 窓に供えた神器)、

ともありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%90%91、さらに、


(「向」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%90%91より)

象形文字です。「家の北側に付いている窓」の象形から「たかまど」を意味する「向」という漢字が成り立ちました。「卿(キョウ)」に通じ、「むく」という意味も表すようになりました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji487.html


(「城」 https://kakijun.jp/page/0932200.htmlより)

「城」(漢音せい、呉音ジョウ)は、

会意兼形声。成は「戈(ほこ)+音符丁(打って固める)」の会意兼形声文字で、とんとんたたいて、固める意を含む。城は「土+音符成」で、住民全体をまとめて防壁の中に入れるため、土を盛って固めた城のこと。『説文解字』(後漢・許慎)には、

城とは民を盛るもの、

とある(漢字源・角川新字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9F%8E)。ただ、


(「城」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9F%8Eより)

会意兼形声文字です(土+成)。金文では、土の部分が「望楼(遠くを見渡すだけに作られた背の高い建物)」の象形でした。のちに、「土地の神を祭る為に柱状に固めた土」の象形(「土」の意味)と「斧のような刃のついた矛の象形と釘の頭からみた象形」(「まさかりで敵を平定する・安定させる」の意味)から、土を盛り上げ、人を入れて安定させる事を意味し、そこから、「しろ」、「きずく」を意味する「城」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji1029.html)。


(「城」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji1029.htmlより)

参考文献;
西ヶ谷恭弘『城郭』(近藤出版社)
笹間良彦『図説 日本戦陣作法事典』(柏書房)
笹間良彦『武家戦陣資料事典』(第一書房)

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